夏の花火
 著作:はにゃん (白っぽい空の音)




 祭りの後の静かなこと―――。



1.

 立川直人はふたり分のかき氷を持って立ち尽くしていた。人ごみの中、ようやく手に入れた氷だが、待ち合わせの場所にはすももの姿はない。いや、居なくなっていた。

「おい、またかよ!」

 思わず叫んでしまう。近くにいた人たちが何事かと直人を見るが、直ぐに興味を失って人の流れへと帰っていった。

 葉柳すももとは小学生の頃からの幼馴染だ。この片田舎で特に代わり映えのない日々を過ごしながら、直人もすももも今は大学生だった。初めて恋人と噂されたのは中学の頃だったが、それまでふたりでいることが当たり前だった為に、少しこそばゆい程度でしかなく、気がついた時にはクラス公認の仲にまでなっていた。ただ、丁度その頃すももが風邪をひいた。見舞いに行った時、ベッドで横になるすももが「別に公認されなくても、恋人になるのなんて最初から決まっていたようなもんだよ」とえらく強気な発言をしていたものだ。もちろん、直人も声には出さなかったがいずれ恋人になるのだろうなという考えくらいはあった。すももとの関係は、まだ続いている。

 ところでだ。すももには一つ困った癖があった。どうも昔からかくれんぼが弱かったすももは、直人との恋人関係が公認されてから、突然いなくなることがあるようになった。つまり、何かと隠れるのだ。直人にしては、その度探さなくてはいけないためにいい迷惑だ。ちなみに今までで一番困ったのは高校での修学旅行の時。点呼の際、教師が葉柳がいないと漏らしたのが発端だ。その5分ほど前には確かにクラスの女子によって姿が確認されていたのだが、トイレにも教室にも残っていないようだった。「これはすももの癖なんです」なんて直人が言える筈もなく、5分間だけ猶予を貰い、幼馴染代表という形ですももを探すハメになった。結局すももが隠れていたのは滅多に人が近づくことのないプールの裏側で、迷惑をかけた教師に頭を下げると後はけろっとした顔でバスに乗り込んでいた。「危うく修学旅行逃すところだったよ」なんて、楽しそうに話していたのを覚えている。

 直人が今回待ち合わせしていたのも、その葉柳すももだ。ふたりで屋台を眺め歩いていると氷の看板を見つけたすももが、「あ。食べたいかも」なんて言うものだから直人が買いにいったのだ。しかし、戻ってくると誰も居ない。直人は思わず頭をかきむしりたくなったが、両手が塞がっているために出来なかった。

 溜息をつく。すももが隠れるのは、大学生になってからは初めてのことだ。もう卒業したものだと思っていた。

 アナウンスがまもなく花火の開始を告げている。両手の氷も時間がたつにつれて悲惨なものになっていくことだろう。既に緑と赤のシロップがそれぞれの頂上を崩し始めている。

「仕方ないなぁ」

 半ば諦めた心持ちで、直人はすももを探すことにした。どちらにせ放っておくことはできない。
 ただ、なんとなく悔しかったので、赤色の氷山にひとくちだけかぶりついた。



2.

 綿菓子を頬張りながら、葉柳すももは境内の裏手で腰掛けていた。屋台のある大通りからは外れ、お参りをする場所からは離れているため人の数はまばらだ。地元民だけが知る特別な花火鑑賞広場でもあるため、家族連れもちらほら見える。ナンパされる心配もない。浴衣の帯が少し窮屈に感じられたが許容範囲だ。すももは足をぶらつかせて考え事をしていた。思い浮かべるのは、専ら直人のことだ。

 「ふぅ」と溜息。

 たまに吹く涼しい風を除けば、本日も素晴らしく暑い夜だ。かき氷だけでも受け取っておけばよかったと思い、その矛盾に少し可笑しく思えた。

 今日は一大決心の日だ。大学生になって卒業したこの直人遊びを再びもってきたのはこのためだった。直人なら、間違いなく自分を見つけるだろう。昔っからかくれんぼで直人に見つけられなかったことはない。だからこそ、緊張感が高まっているのが分かった。考えてみれば直人との付き合いももう10年以上になる。夫婦生活間における10年は転換期と誰かに聞いた覚えがあるけれど、それは単なる数字の区切りに惑わされているだけだと思う。10年変わらず付き合い続けられたのなら、もう一生付き合いは続けられるというのがすももの考えだ。だから大丈夫だと自分に言い聞かせる。

 思えば中学の頃も修学旅行の時も、表面には出していなかったが内面は物凄い荒れもようだった。初めて恋人の噂をされた時は、心臓が飛び出るかと思った。事実、それから数日は直人の考えを追ってばかりいた気がする。あの時に風邪をひいたのもそのせいだ。お風呂から上がって、髪も乾かさずベランダに出てぼんやりと考え事をしていたのだ。直人は付き合うことに賛成なんだろうか、とか他に好きな子がいたりするんだろうか、とか。クラスで公認されても本人の気持ちが分からなければ仕方ない。

 修学旅行の時は、単なる甘えだ。恋人という形になっても本来の形は変わることがないため、ふたりはキスをしたことさえなかった。プラトニックすぎたのだ。だから、甘えてみた。見つけて欲しいという気持ちと、簡単に見つけられるのは癪だという気持ちとが変に混ざり合った状態で隠れていたのだ。直人が現れた時は嬉しくて涙が浮かんだくらいだ。涙のことは直人は知らない。

 手持ちの綿菓子がなくなった。本来の自分は甘えんぼうなのでしたと結論をつけて、とんと境内から降りると、すももは歩き出した。ここで待っていても良かったのだが、それだと花火が始まる前に見つかってしまうかもしれない。一番いいのは花火がクライマックスの時だ。その時間帯ならば、例え顔や声に変化が現れたとしても、光と音がかきけしてくれるだろう。それに、人がまばらとは言うもののまだ少し多い気がする。とっておきの決心だ。出来る限り誰にも邪魔はされたくない。


3.

 太鼓を叩くような音が聞こえ、直人は空を見上げた。花火が始まったようだ。周りを見ると他のものも同様に立ち止まっている。流れることをやめた人ごみほど歩きにくいものはない。参ったなと舌打ちをして直人は再び歩き出した。

 もちろんのことだが、すももはまだ見つけられていない。浴衣であることから人を避けた場所にいるだろうと、先ほど境内の裏を探してみたが既に居なかった。ただ、一度はここにいたようだ。東京から来ている孫と一緒に、花火を見に来てるという知り合いのおじさんが、先ほどまですももがいたことを教えてくれた。小学校2年生くらいの男の子が、指差して浴衣きたお姉ちゃんが綿菓子食べていたとも言っていた。

 何がしたいのだろうか、と考えながらもすももの行き先を計算する。境内の裏から人を避けて行ける場所なんていくらでもある。運動神経のいいすももならば、それこそどこにだって抜けていけるだろう。ただ、今日は浴衣を来ている。となると、すももが通れるのは神社の表へと抜けることのできる細道くらいだろう。山を下るわけだからかなりの遠回りになるのだが、それでも選んだのは直人とうっかり出会ってしまうことを避けたからであろう。すももが消えたのは数分前。人ごみの中をつっきっていけば、上手くいけば先につくことだって出来る。それに、なんとなく行き先もわかって来た。



4.

 初めてすももと出会った時のことだ。もともと直人はこの街の地元民ではない。両親の都合で引っ越してきたのが小学生2年の頃。都会のまごついた空気しか知らなかった直人にはこの街の祭が特別なものに思えて仕方なかった。存分にはしゃいだ。かき氷も食べた。とうもろこしも食べた。そんな折、すももを見つけた。満足して、両親から許しを貰って境内の方まで駆け上ってきた時のことだった。すももは何をしているのか、軒下で身体を丸めて隠れており、それに直人が話しかけたのだ。近くで同年代くらいの子供たちが駆け回っていた。

 驚いただろう。直人はその軒下が気になって、向かってみると中に女の子が隠れているし、それを見ていた子供たちが「すももちゃんみーっけ!」と駆け寄ってくるし。目の前の女の子は怒っているようだし。その後すももが発した「なんで!」には、なんでこの場所がわかったのという響きに聞こえた。

 とにかくここで直人はすももと出会った。直人も混じってかくれんぼをすることになり、空がちかちかと点滅する間、直人たちはかくれんぼを楽しんだ。直人自体はかくれんぼに強いわけでも弱いわけでもなく、普通に見つけられては他の子の居場所がわからなかったりもした。ただ、何故かすももの居場所だけは見つけることができたから不思議だ。

 花火がクライマックスになり、かくれんぼも次で最後という頃。鬼は直人だった。既にすもも以外は見つかっていて、全員ですももを探していた。範囲は一応神社の中なのだが直人はここにはいない気がしていたため、境内の裏で見つけた細道へと入っていった。暫く鬱蒼とした暗闇の中を歩いていく。すももだけでなく、直人もいなくなって他のメンバーは帰ってしまったことだろう。ただひたすら暗い道を足場を頼りに進んでいく。すると道が途中で外れているのを発見した。丁度階段がしかれている辺りだ。階段の下にはうっすらと光が見えている。光のある場所が、神社の入り口であることと、外れた道のつく先が、入り口から少し廻ればいけるということを知ったのはその後のことだ。



5.

「見つけた」

 思った通り、すももはそこにいた。ちょこんと人形のように腰掛けて前を向いている。直人が通ってきたのはあの外れた道ではなく入り口方面からだ。見ればすももの浴衣には少し葉がついている。

「はい、かき氷」
「ありがとう」

 肩の葉をとり、殆どが溶けてしまったかき氷を渡して前を見る。大きな湖だった。赤、青、黄色とたくさんの色が反射して湖を照らし出している。花火はこの湖の向こう側から打ち上げているようで、この場所は地元民でさえ中々知らない本当の穴場だった。

 直人は何も言わない。すももがこの場所を選ぶということから何かあるのだろうと予想していたので、今日のかくれんぼは大目に見ることにしていた。

「で、どうしたの」

 すももがずっと前を見ていたので、直人から切り出した。すももの顔は光に反射されてよく見えない。恐らく直人自身の顔もそうなっているのだろう。花火は既に大詰めへと向かいつつある。

「直人」

 すももがゆっくりと口を開いた。相変わらず透き通った声だなと、直人は思う。

「直人は、配慮が足りない」
「うん」
「直人は、もうちょっと優しくなろう」

 「うんうん、それで」直人は自分は十分に優しい人間の部類に入るんじゃないかなと考えながら言う。

「かき氷溶けてた」
「まあ、それは自業自得ってことで」
「どうしていつも見つけられるの?」
「んー、なんとなく」
「浴衣窮屈」
「あ、やっぱ苦しいんだそれ」

 話は脈絡なく進んでいく。その度に直人は相槌をうったり、話に応えたりしながら会話を進めていった。大きな光が空に華を咲かせている。

「もう直ぐ花火終わるよ」

 どこからか「たまやー」と叫ぶ声が聞こえた。最後の連続打ち上げ花火を見ながら、すももは無言になった。まるで花火が終わるのを待つように。その瞬間をただ空の綺麗さに見惚れる時間に使う。

 すももにとっては長い瞬間だ。最初は花火の音に混じるように言おうと思っていた。それならば多少の恥かしさが軽減されるだろうし、直人の声も聞き取りにくい。YesとNoが曖昧になるという点は望んでいる結末と、起こって欲しくない結果を遠まわしにしているだけだが、割り切るには勇気が少し足りなかった。臆病なのだ。それを前に出さないだけで本当は自分は誰よりも臆病なんかじゃないかとさえ思えてくる。

 今の瞬間さえ乗り切れないようじゃ、この先何も言えそうにない。花火の音よりも自分の心臓の音のほうがうるさいくらいだ。

 すももが初めて見つけられたあの時から、すももの心臓は早鐘を打ち続けている。それまでかくれんぼで見つけられたことはなかった。ずっと独りで居座りつづけて、最後にみんなが諦めたら出て行く。誰も見つけてはくれない。

 でも、それを直人だけはすんなりと見つけてしまった。それがあまりに呆気なかったので、幼いころはつい怒り出していたのだが、嬉しくて仕方ない気持ちもあった。

 (そんなところで、何してるの?)

 花火の音が聞こえた。同時に直人の声も聞こえた気がした。
 一際空が輝いたと思うと、静けさが戻り無数の拍手が聞こえてくる。これから祭は終わりへと収束していく。

「うん、決めた!」

 拍手の音さえもなくなった時、すももが言った。何かをふっきったように声は弾んでいる。顔もこちらを向いた。すももの真剣な表情久しぶりに見たなと、直人は思う。
 音のない時間。喧騒は遠すぎて虫の音よりも頼りない。何が?とは聞かなかった。

 「直人、結婚して!」その発言に直人は面食らった。まさか結婚話になるとは思ってもいなかったからだ。それに直人もすもももまだ学生だ。

「すもも、僕はまだ学生だよ。就職もしていない」
「だったら、いつか結婚して!」それでも言う。

 すももの顔は赤い。花火が続いていれば相手の顔の色なんて見えなかったのに、なんて冷静に考えている直人がいた。その直人の顔も赤くなっている。

 いつも何でもないように言うすももが、今日に限ってはどうしようもなく切羽詰っている。そのことも直人を熱くさせている要因のひとつだ。直人はこのすももの芯の部分が何より好きだ。
 すももは、きゅっと唇を噛んでまっすぐ直人を見つめている。強気な部分なんてない、そこにあるのは剥き出しの不安と望み。

 直人は深呼吸をした。深呼吸をしなければいけないことに可笑しく思った。
 だけど、言うなれば答えなんて最初から決まっていた。すももが何時直人のことを気にしたのかは判らないが、直人がすももを気にしたのはあの境内で初めて会ったときからだ。ようするに、一目惚れだったのだ。

 それから、この10数年。直人は当たり前のようにこの女性を好いてきたのだ。
 だから言う答えなんて決まっている。本来は直人から言うつもりだった話がすももに獲られてしまったという点では、いつもすももには困らさせられているが、それもまた直人とすももらしい。

「いいよ」

 ようやく口を開いた直人からは、その言葉だけが漏れた。
 静寂。閑散。無音。
 「あ」という言葉とともに、すももの頬を涙が伝った。

 溜まっていた不安が身体から抜けていくために、涙が溢れる。拭おうにも何もなくただぼろぼろと涙を流すのみ。
 直人は恥かしそうに目を逸らしている。仕方がなかったのですももは手で涙を拭い始めた。それから呼吸を整えて涙を止める。

「絶対、他の人なんて見ちゃだめ」
「うん」
「告白されたら結婚相手がいますって言うこと」
「はいはい」
「その結婚相手はとっても美人です」
「はい」
「直人はすももにメロメロです」
「うん」
「否定しないのがいい」
「事実だからね」

 そう言いながら、直人はすももを抱える。撫でた髪はさらさらしていて気持ちいい。
 それから、自分だけ何も言わないのはフェアじゃないかな、なんて考えて直人は口を開いた。

「今日のすももはいいね。中学の時とか修学旅行の時とか、あんな回りくどいことせずに、普通に甘えてくれば良かったのに」
「え!」

 ぼんっという形容が似合うな。と、一瞬で耳元まで赤くなったすももを見て直人は思った。

「な、なんで」
「その゛なんで゛は、なんで知っているのの゛なんで゛だね。普通判るよ。僕だって割と嬉しかったし」
「―――っ!!」
「こらこら。叫ぶのは駄目」

 すももの口を手で塞いで言う。暫くそうすると落ち着いたすももが自分で指を剥がした。

「はぁぁ・・・・・・」すももが大きく溜息をつく。
「結局かくれんぼでも、気持ちでも直人には敵わなかったってことだなぁ」
「まあね」

 おどけて言って、直人は声には出さずに言う。
 (でも本当は、君に出会った時点でずっと僕は君に勝つことなんてまずないんだからね)



 祝福してくれる月明かりも、花火の煙に隠れて見えない。言うなれば、この祭の後の静けさがふたりを密かに称えているくらいだ。




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