切符、一枚と一枚。
 著作:薊野 成美(A thistle head)




 僕と瑞貴は列車に乗っていた。
 だいぶ古い列車で、壁の色なんかかなりくすんでいて、布張りのシートも縫い目に沿ってほつれかけて糸が出ていたりした。でも座り心地は良かった。
 手の中にはそれぞれ、自分の分の切符を握っていた。灰色の紙に黒い文字の、シンプルな小さな切符。










 乗客はまばらだった。五十代、六十代くらいの背広姿のおじさんが数人いて、あとは中学生くらいの男の子が一人と、高校生と思われる女の子がいた。彼らはみんな、外の景色にぽーっと見とれていた。

 とても綺麗なところだった。白とか、薄いピンクとか黄色とか、その他色とりどりの花が一面に咲いていて、カラフルなのにそれらは調和していた。それらが揺れないことから分かるように、風はまったくない。空は文句なしの空色だった。最初は僕らは「天気いいね」「旅行みたいだね」なんて他愛ない会話をしていたのだが、こうも静かな空間では何となく喋りにくい。結局、周りに倣って僕らも静かに景色を眺めた。
 規則正しく振動しながら、列車はまっすぐ進んでいった。










「これからどうなるんだろうね」
 瑞貴が突然呟いた。僕は彼女の方を見た。
「大丈夫だよきっと」
 僕はにこっと笑いながらそう言ってあげた。この先に行ったことなんてないから大丈夫かどうかなんて分からない。でも、僕が大丈夫だと言ってあげなかったら、他の誰が瑞貴を安心させてあげられるんだ。
「今、どんな気分?」
 その質問は、ちょっと難しかった。僕は少し考えてから、
「別に、特にどうっていう気分じゃないかな。瑞貴は?」
「すごくどきどきしてる」
「どきどき、なんだ。面白いね」
 瑞貴は前からちょっと変わった女の子だったけど、でもこんな時に『どきどき』だなんて、やっぱり面白い。
「あたし達、こんなかっこでいいのかな」
「え?」
「だって、暑いのにみんなスーツとか制服とか着てるから」
 彼女は目線で他の乗客達を示した。
「もうちょっとちゃんとした服着てきた方がよかったかな」
 僕はTシャツにカーゴパンツ、瑞貴はタンクトップにデニムのスカートだった。
「いいよそんなの、別に。何着てたって一緒だって」
「そうかな」
「そうだよ」
「だよね」
 瑞貴はやっと安心したようだった。










『〜まもなく終点、終点です。皆様、お気を付けてお降りください〜』
 感情のこもらないアナウンスが響いた。瑞貴がぴりっと体を硬くしたのが分かった。僕も緊張した。
「……行こう」
「うん」
 他の人達はみんなさっさと降り口に向かっていて、僕らが一番最後だった。黒い制服を着て帽子を深くかぶった駅員が待ちかまえていて、一人一人から切符を受け取って確かめていた。僕も手の中の切符をちらっと見た。
「次の方、切符を拝見します」
 血色が悪く生白い手に、僕は切符を渡した。駅員は印字してある色々な事項を確認して小さく頷くと、点線のところで半分に切った。そして切れっ端を僕に返しながらどうぞ、と車外に促した。僕は会釈をして、黒っぽい土の上に降り立った。続いて瑞貴も切符を差し出した。駅員は目を細めてそれを眺めると、やがて言った。
「この切符では、お降りになれません」










「え?」
 瑞貴はぽかんと口を開けた。
「そんな、おかしいですよ。だってあたしちゃんと……」
 駅員は切符を千切らず、そのまま回収した。
「申し訳ございませんが、折り返し列車に乗ってお戻りください」
「ちょっと待って下さいよ。僕たち一緒に来たんですよ? 僕は降りられるのに彼女は駄目なんて――」
「貴男とこちらの方とは、切符が違いますので」
 そう言って駅員は、手にしていた瑞貴の切符を僕にかざした。僕は自分の半券とそれを見比べた。灰色の紙に黒い文字の、シンプルな小さな切符。


「――あ、れ?」


 紙の色も質も文字の色も形式も、何もかも一緒なのにたった一つ。出発と到着の場所を示す表記の、間違い探しゲームのような細かな――しかし大きな違い。

 僕の切符の、出発場所と到着場所をつなぐ記号は右向きの矢印。

 瑞貴の、切符は。







『生前←→死後』







「お客様の切符は片道ですが、こちらは往復切符です」
「嘘……」
 僕は凍り付いた。瑞貴は駅員から切符を奪おうと掴みかかった。
「そんなはずないじゃない! あたし達、一緒に薬飲んだのに何で――」
「貴女をお降ろしする訳にはいきません――お戻りください」
 駅員は、どん、と瑞貴を突き飛ばした。あっと声を上げて、瑞貴の細い体は列車の中に倒れ込んだ。計ったようなタイミングでドアが閉まった。
「瑞貴!」
 僕は列車に駆け寄ろうとしたが、駅員の腕に遮られた。信じられないような力で、はねのけるなんてできなかった。
「お客様は片道です」
 列車はゴトンと動き出した。中から瑞貴が、必死に窓を叩くのが見える。
「やだ、やだ! 降ろして! 一人で戻るなんて嫌! 降ろしてお願い――お願い――降ろして――――――!」
















*   *   *

















 横で何か動く気配がしたので目を開け、それが点滴の調整をする看護師だと理解した瞬間、瑞貴の顔に落胆の色が浮かんだ。視界に広がる天井の白さも、掛けられた布団の重みもはっきりと感じる。
「目、覚めましたね。少々お待ちください、先生を呼んできますから」
 足音が遠ざかっていくのを聞きながら、全身ぐったりと重い体の、かろうじて首だけを隣のベッドに向ける。
 片道切符の持ち主の顔には、白い布が載せられていた。
「……………っ」


 瑞貴の切符は、往復だったのだ。
















*   *   *

















 瑞貴を乗せた列車はみるみるうちに遠ざかっていった。後ろで見ていた他の乗客達の一人が、声を漏らす。
「可哀想に……」
 僕は振り返ってそちらを見た。そう言ったのは、背広姿のおじさんの一人だった。
「どっちが、ですか?」
 どっちだと思う、と聞き返された。そんなこと、考えるまでもなかった。

「僕の方です」


 そして、あなた達みんなも。





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