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原色の猫空
藤 秋人
公開日:2007/12/11(正式公開2009/02/05)


 必然。
 人が生まれては死んで行くように、月が昇っては沈み消えて行くように。街に人は溢れ、点いては消えるビルの灯りが、人々の息吹を最も良く可視化させているように思える。交差点を急ぐ人の群れ、その中に在って私は単なるオブジェクトにしか過ぎない。

 それは、孤独感と言う――

 すれ違う人々の喜怒哀楽…… 当然万人にあって然るべきものなのに、通り過ぎる彼等からそれを読み取ることは出来ない。不思議だ、そう思う。紺色のスカートをはためかせ、私は歩く。幻想では無い、ただ灰色に包まれた都市を歩いていた。
 憂鬱だからじゃない、ただふらりと足を向けたのがそこであっただけ。高空で蠢くクレーン、猥雑な風景、この世界にたった一人と錯覚させるような雑多な人の群れ。鼻で笑ってしまうような感傷、もしどうしてそんな風に考えるの? そう優しく問われても、厳しく詰問されたとして曖昧に答えるしか出来ないだろう。さぁ、どうしてだろうね?
 だから。いつものように環状線に乗っていつもの駅の向こう側、終点まで乗っていったのは特に理由があった訳じゃない。

 誰も私を知らない場所に。もっと、もっと遠くに行きたい。
 何か、不確かで曖昧なこの気持ちをどうにかしたいだけ。私は―― どこにいるの?

 制服姿、マフラーを巻いただけの自分。
 ようやく辿りついた駅は閑散としていた。日曜日だと言うのに、街に人影は殆ど見えない。時折、通り過ぎる車の音がやけに大きく聞こえた。私にとって、そこは街よりずっと現実感のある風景のように思えた。無表情の群集にあって孤独。それよりもずっと、クリアな視界と空気…… もしかしたらこんな風景を求めていたのかも知れない。そう思って、苦笑する。なんだ、結局と。

 田舎町をふらりふらりと歩いた。日曜だと言うのに開いている駄菓子屋で、小さなプリンとソーダを買って。ふらりと出ようとすると、偶々遊びに来ていた子達に捕まった。トランプや鬼ごっこ店先で出来る事をして遊ぶ。

「お姉ちゃん何処からきたの?」
「電車で反対側の大きな街かな」
「すごいねぇ! じゃあさ、じゃあさ」

 私と子供達は直ぐに打ち解けた。気がつく間もなく、楽しい時間はあっと言う間に過ぎて行く。未だ小さなちひろちゃん、ちーちゃんは海に遊びに行ったことを嬉しそうに話していた。やんちゃ坊主のカイ君が、近所で見つけた秘密の場所を教えてくれた。
 店先に吹いた風に潮の香りを感じた。海が近いのかな? そう聞くと、ちーちゃんが私達だけの秘密だよと、耳打ち。まだ幼いクッキーの甘い香りがする吐息。鈴を鳴らすような声でちーちゃんは囁く。

「お姉ちゃん、川べりにはね。電線の上に猫さんがいるんだよ。海猫 (うみねこ) っていってね、お月様の光と海の青で綺麗な色をしてるの。夕焼け位になると、またお月様に色を塗ってもらえるように皆で電線の上でお月様が出てくるのを待ってるの……」

 なんの御伽噺だろう、へぇ…… 綺麗な色の猫がいるんだ? そう聞き返すと、ちーちゃんは照れくさそうにはにかんだ。きっと小さな嘘なのだろう、確かにそう言うファンジックな猫がいたら可愛いだろうな、とは思う。

「そうだよ! ちょうど今から土手に行けば見れるかもしれないから!」

 口々にはやし立てるこの子達に押されるように、ふらりふらりと私の足は海に近い土手へと向かう。遅くならない内に帰らないと…… 心とは裏腹に、気がつけば私は大きな川べりにたどり着いていた。
 夕暮れ近い、土手を歩く。遠くに見える大きな送電線に向かって、そこには小さなちーちゃんの言う海猫がいるのだろうか? いや、いないだろう。でも、段々と赤みを増して行く太陽と、舗装された遊歩道を歩く私の心は弾んでいた。見てみたいな、そう思った。必然的な都会の光では無く、染められてしまいそうなこの土手で、昼間落ちてしまった色を海の青と月の光で塗りなおして貰える様に、ただ送電線の上で月を待つ猫達の背中を。

 やがて――

 夕暮れの赤が、その光で全ての物を黒く染める頃。
 いよいよ私の目の前に、大きな送電線が見えてきた。果てしなく空に伸びる鉄骨のオブジェ、どこまでも後ろにひきずられるような大きな影。赤い太陽の光が、私の視界をも焼いているようだった。
 きっと、私の影もまた黒く染められていたに違いない。どこまでも後ろに伸びる私の影。鉄塔の影、街の影…… 思わず目を細めた先に、一際目を惹く原色があった。
 それは、残像のようなものなのかも知れない。原色じみて見える水溜りならぬ、色溜まり。不意に、漂ってくる水の甘い匂い。雨、降ってたかな? 思わず見上げた先、真実があった。

 まるで、送電線にとまるカラスのように。ちょこんと座っている猫が鈴なりになっている。時々、毛繕いするような仕草を見せる度、ぽちゃんと色が落ちて行くのが見えた。

「うみ…… ねこ?」

 魅入られていた。
 毛繕いする度に、地面に染み込む海猫色。

 グリーン、パープル、オレンジ、ターコイズブルー。

 ふと、自分の色が気になって両手を広げた。夕焼けに色づけられた奇妙な紺色。少し、海猫達に嫉妬している事が変に気恥ずかしい。そのまま、わぁ…… そう呟きながら彼等を見ていた。私には無い色が少し、目に痛い。

 そうして、全てを黒く染める赤い光が群青色に、そう。空が深い蒼に染まった黄昏時に。良く通る透き通った声が響いた。

「「にゃお〜ん」」

 一斉に海猫達は空へ駆けて行った。夕暮れを追いかけるように、その先に何かがあるように。西へ向かって。
 送電線がたわみ、 雫が触れたせいか、電線に火花が飛び散った。

 私は、思わず空を見上げた。そこには――

 ふわふわと、浮かぶ海猫の毛。

 知らず涙を流していることも気付かずに、空を見上げた。両手を広げて、夕暮れの土手たった一人。海猫の駆けて行った西の空をずっと眺めていた。
「なぁお」
 足に何かがすがり付く感触。見下ろせば、一匹の海猫が私を見つめていた。とても懐かしい深い海色の目で。抱き上げると、少し色褪せた夕焼け色がブレザーに染み込んだ。
「ほら、いかなくちゃ。ね?」
 ぺろり。頬を舐められて、まだ小さな海猫が仲間を追うように空へ駆けて行く。綺麗な色を海と月につけて貰うために。走り去る背中を見送ろうとしたのに。

 嗚呼、色とりどりの猫の毛で。空が、見えない――
 その隙間から、かの子猫が見えなくなるまで。一時の夢が醒めてしまうまで、私は漂う猫の毛に目を細めた。いつまでもそこにいた。大切な原風景を、私はようやく見つけた。