Top > Original > ふう あー ゆぅ(No.040)

タイトル:ふう あー ゆぅ
藤 秋人
公開日:2009/06/30

 夢を見ていた。他愛の無い夢、きっと起きたら忘れてしまうのだろう…… そう思わせてくれるような夢だった。知らない人、知っている人が断片的に何かをやっているのだが、何をしているのかはさっぱり分からない、けれども彼等は言う。これは大切な事なのだ! 事の重大さを語り、何故それを手伝わないのかと責めた。
「こりゃあ、夢だぁね」
 呟いた言葉が音になり、不意に目が覚める。時計を見るとまだ零時と少しを回ったところ、時計の針が進む音が眠気の所為か、早くなったり遅くなったりしているように聞こえた。目を開けようとすると、やけに部屋が眩しい。優しい闇の中で眠っていたわけでは無く、どうやら電気を付けっぱなしにして眠ってしまったようだった。偶に、こう言う事があるのだ。軽い眠気、まだ床につくまでもないものの、かと言ってアレコレやるには足りない程度の疲労。軽く横になるかとベッドに寝転がって…… 眠ってしまう。寝起き特有の体に残る倦怠感を振り払うように、大きく体を伸ばした。新鮮な空気を目一杯吸い込み、吐息と共に声も漏れる。隣の部屋から、人の声。
「ん、起きた?」
 聞き覚えのある声に、ごく自然に返事をする。
「ちょっと横になってたら、寝ちゃってね。それに、夢も見た」
 隣の部屋に聞こえるように、少し大きめに答えた。
「ほうじ茶でも飲むー?」
 台所にいるのだろう、間延びした声が届く。確かに、遠く微か台所の方から薬缶が火にあぶられる音がした。そうだ、今日はもうちょっと起きてないと。起きてないと?

「……はて?」
 何故、起きてなければならなかったのだろう。

 居間のテーブルに腰掛けると、ちょうどほうじ茶を注ぎ終わったところだった。
「タイミング良いね」
 そう声を掛けられ、くすりと笑う。
「寝癖、直さなくてもさして困る訳でもないし、ねぇ?」
 テレビのスイッチを入れ、チャンネルを合わせる姿をぼんやり眺めながら、映画を見る筈だったことを思い出した。確か、放映時間が深夜枠で、あと一時間ばかりヒマをつぶさなければならない。次々とチャンネルを回し、ようやく落ち着いた先は、アフリカの自然を特集した極有り触れたドキュメンタリー番組だった。
「あ、またトムソンガゼルが喰われてる」
「うーん、毎回見て思うけど、いつもトムソンガゼルは補食シーンか、集団で移動してる画ばっかりだね」
 確かに、そう頷き会って微笑んだ。アフリカの乾期と雨期、酷く対照的な色、そして時折映る現地の黒人。どれも、とても遠くの出来事でしかない。だってそうだろう、アフリカは地球の反対側なのだから。だのに、何故かどれも初めて見るような気分になる。景色も、空も、雲も、何もかも。テレビに映る全てが、まるで赤ん坊が初めて見てしまったかのような、異様な雰囲気を放っている。まさか。
「これ。案外アタリ?」
「かも」
 有り触れたドキュメンタリー番組の筈なのに。湯飲みに手を伸ばすと、器の熱は大分取れていた。飲み頃だろう。うん、美味しい。
「偶には熱いのも良いね」
「え…… いつもそうでしょ?」

 そうだったかな?
 何時も入れたてだったか、私はどうしても思い出すことが出来なかった。まぁ、まだ寝ぼけているのかも知れない。頭を振ると、跳ねた寝癖がピヨピヨと揺れた。

 深夜番組のCMは長い。番組の間と間に挟み込まれるCMは、兎に角退屈な物ばかり。やれ大セールだの、新しいシャンプーがどうのこうの。二分に一回は新車のCM、果たしてこの手の車を、半年に一回新車で買い直す人間が何人いると言うのだろう。必要な額を頭の中で指折り数える、うわっ、無理無理。自然、他愛もない話が続く。
 ざっと一時間が過ぎる。放映予定は一時、今の時間は二時。チャンネルは合っている筈だ。新聞も、今日の日付も間違ってない。
「昼の二時とか?」
「よしてよ」
 茶化す言葉に、否定で答えた。年の為、カーテンを開けてみる。外は真っ暗、街灯の明かりさえ見えない。暗い。

「映画のタイトル、何だったか覚えてるかい?」
 熱心に新聞をなぞっていた私に、声が掛かる。不明瞭なその声、そもそも男? 女? どうしてそれが分からない? さっきまで顔を合わせて話していたのに。

 振り向いた先には誰も!



 心臓が早鐘のように鳴る音で、私は世界を取り戻した。汗ばむ肌、だのに粟立っている。時計の音は聞こえない、薄く調光されたライトの明かりが、白い部屋を仄かに照らしている。それは、きっとその白さで目を痛めないよう、配慮していうつもりなのだろう。窓にはめ込まれた鉄格子。磨り硝子で外は見えない、まばらに映る様々な色が外に 『何か』 あることを教えてくれている。いつもだ。
 誰だった? あれは誰だった? 答えは出ない、見慣れた筈の見慣れない光景。ああ、不快な冷や汗が頬を伝う。短く切られた髪だから、静電気でピョンピョン跳ねる事なんて無いのだ。じゃあ、何で? 誰? 私、そう落ち着かなきゃ。サイドテーブルに冷えたお茶があるはず。震える手でプラスチックのコップをつかむ、涙が溢れてくるのを止められない。そう、いつもお茶は冷たく、生ぬるい、熱くない、生ぬるい。振り向いて誰もいないテーブル、私と会話する誰か、誰なの?!

「だれっ! 一体だれ? あの人は、私は何処なのーっ!」

 慌ただしい足音が遠くに聞こえた。気にならない、ドアを開けて白衣を着た男女が私をベッドに押し倒す。両腕をがっちり押さえられ、チクリとした痛み。自分の絶叫、何を叫んでいるのか私も分からない。ただ、恐ろしく、分からなくて、理解出来ないんだ。何かが腕の中に入り込んで、ソイツがにゅるりと腕の奥へ吸い込まれて行く。急に全てが鈍くなり、吐き出す声がしぼんで行く。
 ああ―― 見知った部屋だ。初島さんに、生埜さん、先生、皆知ってる。今が何時かなんて別にどうでも良い。窓が薄暗い、きっと朝方か、夕方なんだ。でも、分からないんだ。あの人が誰なのか、一時からやる筈だった映画。見たかったな、あの……

「映画、何でしたっけ。あと、あれ、誰でしたっけ」
 ゆっくり、喋るものの喉が少し痛い。あんなに叫べば誰の喉だって痛んでしまうに決まってる。
「――ちゃん、映画見たいんだね。じゃあ、来週までにどんな映画が良いか……」
「えいが、うん夜中にやってるようなのが。いいな」
 初島さんが私の頭を撫でた。初島さんの手は、優しくて好き。
「今はゆっくり休みましょうか。きっと、怖い夢を見たのかもね。昨日は少し疲れただろうから」
 昨日? 霞掛かった意識で考える。何か、あったか。多分、何でも無い事なのかも知れない。ああ、だるいなぁ。

 視界がぼやけていく。疲れたから眠ってしまうのだろう、今度はきっと、夢も見ない。おやすみ、と告げる先生の声、遠ざかっていく足音。目が完全に閉じてしまうその直前、ベッドの向こう側にその人が見えたような気がした。

 誰? 今度は、夢を見なかった。

もどる