Top > Original > title(No.041) 幻視、消えた筈の未来

タイトル:幻視、消えた筈の未来
藤 秋人
公開日:2009/12/13

 夢を見る人と、見ない人がいると言う。私は良く、夢を見る。
「生まれてこの方、印象に残る夢なんて見たことが無い」
 そう、屈託無く笑う友人に、私は複雑な視線を向けてしまう。本当に? 一回も? それとも、夢を圧倒する現実があるから、彼や彼女は夢を見ないんだろうか。私には分からない。

 そして、今日も夢を見た。目覚めた今、忘れない内にメモを取ろうと思った。これは現実じゃない、断じて違う、夢の話。




 家族の形は色々ある。両親が健在で一緒に暮している事もあれば、片親だったり、親と呼べる人がいない事もままある。幸いにして、私の両親、姉弟は全員健在。家族仲も、まぁ…… 悪くない。偶にあっても口げんかで、漫画のようにちゃぶ台がひっくり返ったりはしない。何となく、生きていけるのだから、きっと満たされている。そう思いたいし、私はそう思うことにしていた。

 その日は土曜日で、私だけが昼から仕事。成人を迎え、なお学生ではあるものの、副業だと言い聞かせながら始めたアルバイト。学生は、パートの職員が休む土日祝だからこそなのだろう。ここ数ヶ月、世間の休みを堪能した記憶が今ひとつ曖昧だ。

「晴佳! そろそろ出ないと遅刻するんじゃないか?」
「あ…… うん、多分間に合う!」

 こんな時、父は困ったな、と苦笑しながら車を出してくれる。土曜の昼、もう十一時時だと言うのに、弟も妹も母も起きる気配を見せない。毎回そうだが、今日も気持ちを込めて 『ありがとう』 と一言礼を言う。私がコートを羽織った頃、既に表に出ていた父の車に乗り込む。

 車に滑り込み、シートベルトを締めると車は静かに街を走り出した。どうしてだろう? 嫌な気配…… 全く違和感は無いのに、ただ、気が進まなかった。職場に行きたくない。信号が赤になるのも、青空をバックに雲が流れるのも、いつもと何一つ変らない。その正常さが酷く気分を悪くして行った。
「……晴佳?」
 北へ向かう車内、急に咳き込む自分に驚いた。再発? やはり、持病の発作だと思ったのだろう。何も言わずに父はまっすぐ病院に向かう。夢の中の私は、病院で別れてサボタージュでもと思っているらしい。過去、この身を蝕んでいた厄介な奴を出汁にするなんて、私を見ていた私は思った。碌な物じゃない。空は、まだ青い。




 土曜だと言うのに、病院は受診待ちの人々で溢れかえっていた。外来診察室の待合に並ぶ顔ぶれは変らない。六割の老人、二割の青年、二割の子供。誰もが元気そうではある、けれど直ぐに空元気だと分かる。病院はスキじゃない。
「麻上晴佳さん? 今日はどうしました」
 看護師の問診に 『熱と激しい咳』 と答えると、最優先で父と共に診察室へ通された。医師が一人、机が一つ、椅子が二つ。簡易なベッド (患者を寝かせて触診などを行う為の細長いベッド、台と言っても差し支えない) が一台。一通りの診察を受け、医師は告げる。

「今回のは、お嬢さんの持病とは関係なさそうですね。検査結果如何によりますが、恐らく流行りの新型インフルエンザでしょう。車内で容態が、と言う事なら濃厚接触の可能性がお父さんにも。お父さんも、検査を受けて下さい。お嬢さんについては、最悪入院しなければ――」

 死ぬのは別に恐くない、苦しいのも我慢できる。でも、父が私のとばっちりを受けて苦しむのは、多分間違ってる。

 検査は先に父から受けることになった。
 本来、鼻の粘膜から試料を採取し、反応を見るのが最近の検査法の筈。ところが、看護師によると、検査はいわゆる豆注射…… を受け、浮いた血豆の具合で判断するらしい。まるで、ツベルクリン反応検査のようだと思う。
 検査結果が出るまでは腕をそのままに、かつ安静にしていなければならないらしく、車いすに乗せられた父は待合室で待たなければならない。何だか、その姿が胸を締め付ける。私は、父にこんな目に遭わせるつもりはないのに。
 病院の五階にあるエレベータホール、喫煙所前まで父を連れて行き、そこで別れた。今度は私が検査を受ける番なのだ。

 喫煙所傍の窓から外を見た。何の違和感も無い、普通の風景が酷くいびつに見える。どうして?
 夢なのは分かっている、空を見上げた。空は『これは間違い無く現実』だと…… 酷く、胸が痛い。




 やっぱりこれは夢だよ。

 エレベーターを降りた記憶は何処にも無い。
 気づけば、大きな待合所 (地方の鉄道駅にありがちな沢山の椅子と大きな電光掲示板、沢山の人がいる――) …… ここは何処だと訝しみながら、ガラス張りのゲートに近づく。注意書きが貼ってあった。
 曰く、何かこの施設内で購入し、その商品のバーコードをゲートにかざせば、その先に行けるとのこと。ちょうど片隅にあった売店で、ペットボトルを一本買い、ゲートをくぐった。
「これは?」
 ゲートの中では、様々な遊具が並んでいたが、どうみてもこれは就学前の児童を対象にした物に見える。大抵そういう物は、サイズも彼らに合わせてあるのが常だ。だと言うのに、ここに並んでいるのは大人の背丈に合わせてある。赤い光が室内を照らす中、みっともなく柱に股間を擦りつける女性がいたり、気だるそうに遊具の上で天井の光を見つめている男性がいた。

 入る場所を間違えた。逃げなければと言った焦燥感は無い、ただ離れなければ、大切な事を忘れてないか? 誰の声なんだろう、人でもなければ録音された声でも無い。聞こえたんだ、そういう声が。

 どう戻ったかは定かでは無く、気づけば病院一階の本屋にいた。




『秋のファッションはこれで決る。ダッフルコート特集!』
 季節感が狂った雑誌を手に取っている事に気づく。マガジンラックに戻して辺りを見回すと、ちょうど最初の待合とは正反対の別のエントランスまで来てしまったらしい。
「お父さん!」
 手元の時計を見てみると、一日時間が進んでいた。私は自らの失敗を知った。
 父は戻ってこない子供を心配し、結局一日を棒に振ったのではないだろうか。彼にはその日、ちょっとした仕事もあった筈だ。とんでもないことをしてしまった。悔いてもしょうがない、まずは家に戻って謝らなければ。そう、顔を上げた時、目の前を通り過ぎようと二人を見て驚いた。
 もう一人の私、そして見知らぬ男が一人。どうやら二人は友人関係にあるらしい。驚愕する私に、もう一人の私はレポート用紙の束を押しつけた。良く見知った見知らぬ他人が、同じ声で告げるんだ。
「それを読んでから家に帰って来て欲しい」
 選択肢は無く、自分の姿すら覚束ない。これが夢だと言うなら信じたい。事情も知らない院内放送が、妙に現実じみていて夢が現実に変ろうとしているのが伝わってくるんだ。

 フラフラと、病院を出て、目の前の何もかも忘却した事にして、家に向かって歩く。

 レポート用紙に書かれている事を読みながら、土手のような所を歩いている。近所にあった遊歩道に、こんな道があっただろうか? 疑問は今や圧倒的な現実となって襲ってくる。
 左手を見れば大きな湖が太陽の光を受け、きらきらと輝く。その中州で、土を掘り返しては丸めている男が一人。影に染まり、一心にそれを繰り返している。レポート用紙にはこう書かれていた。

『それは彼だ。彼はそれをやることが生き甲斐で――』

 次のページを捲る、そこには今の私についての説明が書いてあった。今の私は叔父の子で、名前は『ユウ』と言う。現実世界の叔父は、最初の奥さんと死別。次の奥さんとは何やかんやあった後、離婚していた筈だ。その叔父の子…… あり得ない世界に迷い込んだ事を実感し、少し怖くなってきた。私ともう一人の私、その年齢は一緒だった。そして私は叔父の子だと言う。では、母親は?


 家の前に着く。集合住宅の入り口だから、そこから更に階段を上らなければならない。
 エレベータを使うまでも無い。
 ふと見れば、入り口に乱雑に捨てられている本がある。沢山の辞典と、山のような同人誌。どれもこれも新世紀エヴァンゲリオンのようだった。一冊のハードカバーがぽろりと私の手に転がってくる。縦書き赤字のタイトルに、歪んだ自画像を模したのか少し渦を巻いたような碇ゲンドウ (件の作品に出てくる主人公の父親) の肖像が描かれていた。タイトルはが毒々しい赤字で書かれていた。
『私が疑われた容疑』
 本を開く、どうやら考察本の類らしい。もくじを見る 『子宮ってこんなに近かったのか?!』 意味が分からない。
 もう一冊、沢山ある同人誌の中から拾い上げ、ページを捲る。主人公の碇シンジが、清潔そうなベッドで寝ているシーンから始まっていた。次のページ、アングルが彼の胸元近辺に移る。当然そこには彼の肩も映っているのだが、そこにあったのはむき出しの骨である。少し、吐き気がする。
 マジックで骨に直接 『バンザイ厳禁』 などと書かれている。バンザイも何も、神経も通ってない、筋肉も無い、骨だけの部位をどうやって随意運動させることが出来るのだろう。まぁ、そういう趣向なのかも知れない。例によって例のごとく、この本の碇シンジも泣き言を言っていた。台詞にはこうあった。

『痛い…… 僕の腕が、ミサトさん、アヤナミ、アスカ…… ○×■』

 この同人誌は、家に入ってからゆっくり読もう。幾らかチョイスして、いざ家に入ろうとした。

「足が、進まない」

 入ろうとしたのだが、足が動かない。
 これ以上、この夢を見続けていてはいけない。脳の、いやもっと深いどこかから警鐘が鳴り響いた。

「これが、夢ですって? これが?」

 目の前の家が、強い太陽光線に白く染め上げられて行く。やけに空の青が痛い。足下に延びる、濃い、濃い私の影。その先にあるだろう、誰も知らない私の本当を見る勇気。

 見てはいけない! 知ってはいけない!
 二人の声が響いた、誰か。何もかもが黒く塗りつぶされる、太陽も自分の家も、自分の姿でさえ。

「嫌だ!」




 目覚める。見慣れた風景。転がっている携帯電話、エアコンのリモコン。

「暑い……」

 陽の光が差し込み、白い天井をより白く見せていた。
 誰も知らない誰かになって、遠くに―― 抱いた夢は、現実として間違いなくそこにあった筈だった。ただ、勇気が足りなかった。恐ろしかったのだろう、父となった叔父の隣に立つ知らない母の姿に。そして、昔伝え聞いた叔父と最初の奥さんの話を思い出して。
 その人と叔父は大層仲が良く、先に生まれていた私を、とても可愛がってくれていたらしい。だが、まもなく病に倒れ、この世を去った。その時の叔父の慟哭は、未だに耳に残ると、親戚の誰かから聞いたことがある。可能性の世界で私は私であることを否定してしまった。ユウと言う名の、叔父の子供は私の目の前から消えてしまった。

 耳をすませば、蝉の声も聞こえない。七日の命は燃え尽きたのだ。もうすぐ、二十六回目の夏が終わろうとしている。夢を見ない人がいると言う。私は良く、夢を見る。ある時は晴佳で、昨日はどうやらユウだった。

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