Diary......April 2004
管理人の主な行事→新学期
今月の更新予定→ 色々と更新します。

一ヶ月前へ一ヶ月先へ

2004/04/26 title = 黒いボディのにくい奴--2
 さて、今日は昨日触れた黒いボディのにくい奴… こと。ジャンク扱いで二千円で持ち帰ってきたシャープメビウスPC-A435にWindows98seをインストールしようと言う話の続きを書こうと思う。ことの顛末は先日の日記を参照あれ。

 本題に入る前に少しおさらいしよう。このパソコン「シャープメビウスPC-A435」はジャンク品として売られていた。しかし、MMXペンティアム133Mhzにメモリ64MBを搭載。未だFDDやBIOS、PCCARDスロットは健全… 何が問題かと言えば、CD-ROMが読み込めないだけなのだ。もう一つ、実は家にあった98SEの起動ディスクは何故かフォーマット済みだった。どうする!? 藤 秋人。負けるな藤 秋人!

[おさらい終わり]


 と、言うわけで追い詰められた感がある中。製造元であるシャープのサービスセンターに電話する。だが、流石に 「ゴミ同然の扱いをされていた貴社製品を二千円で買い叩いたのですが、一つ問題がありまして。中古がゆえにCD-ROMドライブが壊れてるたい。ドライブだけでもいいから売ってくれないか? 」 なんて言えない。

 仕方なくこう言うことにした。 「友人から譲り受けた貴社製品をwindows98にしようと起動ディスクでフォーマットしてインストールしようとしました。が、何故かCDの読み込みが出来ないのです。知人によれば原因はドライブそのものの故障で… (中略) もし在庫あればドライブだけ売ってもらうことは出来ないでしょうか? 」

 ……しかし、そこまで考えて電話したにも関わらず。結局在庫は無かった。

 そこで、のろのろと本体内蔵のHD (2.5インチ)をはずして眺めてみた。


 写真のような風景を一人で眺めていた。空しかった。明治の大作家夏目漱石二人がこんな使えるんだか使えないんだか良く判らないものの為に世に流れていったことを悔やみ。取り合えず黙祷してみた。だが、それで何が変わるわけでもない。

 が、次の瞬間閃いた。

 そうだ、2.5←→3.5変換コネクタデスクトップパソコンを使ってWIN98を導入して…導入後に元に戻したらどうなるって言うんだろう? いや、どうなる?

 これは… これは… イケる。よし、こうなったら浪費覚悟でやって見るしかない。この私一世一代の浪費を以ってPC-A435、貴殿に勝負を申し込むッ!

 取り合えず、明日結果を日記で報告することにします。


2004/04/25 title = 黒いボディのにくい奴--1(改題)
 先日、二十三日のこと。友人とお茶をしばきまわす予定だったのだが、色々あって延期になってしまった。既に待ち合わせ場所に赴いてしまった後の延期で、しかも当日の予定は消化しきっていると言う有様。空いた時間をどうしようか切に悩む。

 そこで、久しぶりにパソコン関連のパーツを取り扱っている店を回ってみようと思い一人でうろちょろし始めた。それがある意味での間違いだったのかも知れない。
 中古ノートパソコンを取り扱っている店に寄った時、興味深いものを見つけた。読んでみればCD-ROMが壊れている以外はこれと言って何もおかしな所のないノートがジャンク扱いで二千円ポッキリで売っていたのである。スペックはCPU133Mhz、メモリ64MB。確か家にあったWindows98の動作環境にスッポリ当てはまる筈だ。ならばそれを放り込んでやれば、晴れて執筆用パソコンの完成だ。ならば、仕事の休憩時間にポチポチ出来るのだ。これはいい。早速買い、家に持って帰る。取り合えず起動ディスクを読み取るかが問題だ。


 以前使っていたWin98の起動ディスクを挿入する… が応答がない。良く調べれば既にフォーマット済みときた。そりゃないよ。取り合えず、正常な起動ディスクがあればセットアップが可能なのだから、取り合えず明日にでも製造元に電話してCD-ROMドライブの在庫があるかどうか当たってみることにする。とは言え、もう発売から軽く八年経っている製品だ。部品がない可能性は大いにある。お金をドブに捨てたような気分になった。ちなみに、そのノートの名前はシャープメビウスPC-A435って言う黒いボディのにくい奴なのだ。


2004/04/22 title = 歳をとった
 完璧な恋人を今日ようやく公開することが出来た。
 幾度となく公開予告をして結局、一ヶ月ほど掛かってしまったと言う体たらくであった。やはり学生であれ会社員であれ、兼業しながらだとどうしても予定にズレが生じる。時に、一ヶ月ほどの誤差も致し方ないような気もしないでもないのだが、それも少しずつ進めていけばこうはならなかったのだろう。

 が、性格がそれを許さない。基本的に一つの話は一日で仕上げてしまいたい。もっと言えば三時間から四時間ぶっ続けで書き上げてしまう… と言うのがそもそも私の書き方である。去年の何時頃からか、計画的に書いてみようと試みたがプロットだけが無残に積み重なるだけで肝心の原稿は毎日最初から書き直される始末。最後にはそれぞれ違う草稿だけがゴミとなって机のいずこへと姿を消してゆくのだ。

 綺麗な湧き水も時間が経てば、ぼうふらの一つや二つ発生しているもので。つまり鉄は熱いうちに、構想は気分が盛り上がっている内に。そういうこと。

 それは兎も角。また一個年齢が上がってしまった。若き日は過ぎ、老いゆくだけなのだが独特の不思議な気持ちを覚えずにはいられない。振り返り一日一日を無為に過ごしていないか、遠くを思い幼い頃の自分に今の自分を誇ることが出来るか。

 子供の頃、コンピュータと同化して永遠を生きたいと思った。
 なぜか、二十まで生きられないと思っていた。
 そんな自分は今、生まれて二十一年経ちコンピュータの前で確かに生きていた。

 つい最近まで、自分はそろそろ死ぬのだと思っていた。人の命は有限で、自分の残りはこの辺りで無くなるのだと頑なに信じていた。一種信仰じみたそれに従い、終わりを待った。時折、二日ほど食事に手をつけなかったり処方された単なる咳止めを四倍ほど飲んでみたりした。
 一向に訪れない黄昏に苛立ちを感じた。何故?
 そしてついに真っ当にこれからも生きてゆくことを確信したその時、私は信仰を捨てた。昔、どこかに置き忘れた筈の 「生き汚さ」 と 「夢と現実」 を持って取り合えず死ぬまで生きてみようと思った。

 先日、関東方面に就職した親友から手紙が来た。彼の手紙を読んでどうしてか嬉しくなり、すぐに返事を書いた。もう一人、去年から 「手紙を出す」 と言っている関西方面に住む友人への手紙はまだ書いていない。彼女は聡明さと明るさを持った人で現在一人で暮らしていると言う。今まで自信のなかった自分の今やなんでもない近況を彼女に伝えようと思う。

 まずは元気だった? から書き出すべきだろう。大好きな人達に手紙を、書こう。


2004/04/19 title = 駄文を連ねよ [執筆の間に]
 昨日の深夜。バイトが終わって自転車で家路についている最中のこと。

 ふと詩を書きたくなった。本当になんとなく書きたくなった。
 けれども詩なんてもう随分書いてない。自分の書き方も忘れてしまっているし、そもそも文字にしたい思い自体が混沌としていてどう書いていいかも分からなくなってしまった。湧き上がってくる思いに押しつぶされそうになって、長らく文章を書いていない事実に気付いた。

 確かに書きはするが、時間が短くて書き終わる前に筆を休めなければならない。もどかしいのに、最後まで書き上げたいのに。

 だから、最近些細なことで感動してしまう。本能的にネタを探してしまうとでもいうのだろうか。本当に些細なことに妙な感動を覚える、この間はミッフィーが横を向いた絵を見て 「寂しい」 と言う気分に襲われた。途端、目頭が熱くなる。勿論頭の中はミッフィーがこの絵に至るまでのストーリーが脳内八倍速で駆け巡っている。

 これじゃあ、もう病気じゃないか。

 そんな事情もあって、どうしても書かざる得なくなった。殴り書きだから可笑しいかも知れないけど残しておこうと思う。

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張り詰められるように
澄んだ空気の中で ただ風に晒されながら
そこに在るだけのお前

お前は夜に咲く花 朝になれば消えうせる
傷ついたお前が故に 太陽は背をむけたと
傷ついたお前が故に お前は夜に咲く
昼は埋もれた雑草として踏まれ
夜に傷ついたその体を伸ばして咲かせる花

誰も見ないその体は花 淡い青は闇に溶け込む
ただ見上げる果て無き空に お前は何を願うのか
春夏秋冬を見上げ 月の満ち欠けを見つめ>
お前に触れる誰かを見下ろし何を願う
立ち枯れする木はまるで死そのもので
なぜ生きるのかと お前に問う

だけどお前は答えない
わからないとお前は笑う
背向ける太陽にお前は笑う
幸せでしょうとお前は笑う
何かに踏まれてお前は笑う
大丈夫だからとお前は笑う

いつか、そういつかお前も
日の光の下で花を咲かすだろう
涙を流して花咲かすだろう

あいにくその時俺はいないだろうが
お前はただそこに在って欲しい
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 とりあえず、今日中に完璧な恋人を完結させることにします。


2004/04/14 title = 構想
 書くべき話の構想を考えていると最近は全く別の短編やら連載を書きたくなってくる。最初の内はそれこそこれから書こうとしている話のことを考えているのだが、数分も経つうちに 「眠れない倉橋」 を書きたくなってくる。この 「眠れない倉橋」 は短編連作が終了次第書いていきたい新しい短編連作の内の一つ。主人公はこの 「眠れない倉橋」 と関わってゆき… と言う話なんだけれども、そんな事よりも 「完璧な恋人」 を書き上げてしまいたい。けれどもどういう訳か、この倉橋に入れ込んでしまって紙に書き起こしてこそいないのだけど話は八割がた出来上がってしまっていると言う有様。

 問題はこの新短編連作のタイトルが決まらないと言うことと、この妙な構想と言うべきか妄想と言うべきか悩むものよりも、優先して書くべきことがあると言う事実。

 今更ながら、新鮮な内に物を書き上げた方がいいということを実感。

 さて、新学期も始まって良く行くサイトさんの更新ペースが落ち気味な中、どういう訳か毒にも薬にもならない駄文を綴っている自分を省みると少し情けなくなる。

 とりあえず、今ある作品から順次アップしていこうと思う。


2004/04/13 title = 未だ解決せず
 とは、今メディアで持ちきりのイラク日本人人質事件のこと。
 更新をサボっている間にそのニュースを聞き、何だか 「宝くじの一等が当たった」 と言う報告を知人からうけたような言葉に表しにくい感覚を味わうこととなる。

 もっとも誘拐された三人と何のつながりがあるわけでもない。感じたのはその程度で、自分が驚きから覚めた時思ったのは、まぁ… 無事に帰って来いよ。という人間味のない一言だった。

 報道によれば、誘拐二日目にして誘拐された被害者の家族がどういう訳か十五万人分の署名を集めてきたり。家族の会見で、家族側が何度も犯人側の要求を飲むように執拗なまでの声明を繰り返したり。実は誘拐された三人の内の一人はまだ高校生ないし高校卒業したての未成年だったり。

 もう、なんでもあり? と思うくらい稀かつびっくりな事件。

 反面、世間では自業自得とか自己責任だとか言われたりして。
 それもその筈で、今イラクは相当不安定で日本の外務省が現地にとどまる日本人向けの勧告として 「避難勧告」 を出していたらしい。それは、今回誘拐された三人が出国する前に出ていたらしい。なるほど、自己責任・自業自得か。

 で、インターネットの一部では、犯人の要求である自衛隊撤退を一時期激しく被害者家族がプッシュしていたことや、犯行声明のビデオがどーも怪しいらしく。「(被害者の)自作自演ではないのか? 」 なんて声もあるようだ。
 正直、私は偶然の一致だとは思うのだけど。

 目下、政府が全力を挙げて救出や解放に向けた行動に出ているらしい。それはそれで結構なことである。
 誘拐された三人も、それぞれ孤児の支援や、取材活動、劣化ウラン弾の実態調査? なんて彼らは彼等なりの善意でイラクに向かったらしい。それはすばらしいことだと思う。
 けれども、私は思う。ならば、その志を実行に移す前になぜ自分の身を守る為の訓練や努力をしなかったのだろうか? 報道によれば、ヨルダンはアンマンからタクシーに乗ってゆく際、ホテルの人間が治安の関係からヨルダンのタクシーを使えと進言したのに、イラク人のタクシーに乗ったらしい。

 わざわざ緊張が最高まで高まっている時に向かうべきではなかった。そう思う。

 私がなぜそんなことを言うかと言えば、やはり彼等と同様にイラクに行って支援活動に携わってみたい。そんな思いをイラク戦争直後から抱いていた。が、私は責任をもつべき一人の人間で自分の身一つ守れない人間が銃弾飛び交う戦後の街で、それでも笑いながら時にそれを退け、時にそれを受けながらなお、留まれたか。万が一、今回のような事になっても迷惑をかけないか。

 それを考えると、我慢してテレビの前に座り。時に募金や署名をするのが手一杯だった。それが擦り切れた正義感を慰める手段だった。もし行こうとして、私は両親を説得できるだろうか? 彼等は私が死ねば、誘拐されたり傷つけば取り乱してしまうだろうし。そして、何より見苦しく命乞いだってするだろう。それは嫌だった。信念を持って行うと言うのに、それを否定され命の天秤をこれみよがしに見せ付けられたくらいで屈してしまうのが嫌だった。

 だからこそ、今回に事件に憤りを覚える。
 今日の報道や兼ねてから言われていた通り、NGO活動に従事するには何事も自分で降りかかった事態に対して責任を持たなければならない。

 誘拐された三人の無事帰還を心から願う。
 が、解放と自衛隊撤退は何一つ結びつくことはないだろうし。
 自衛隊が撤退してサマワの人々が救われるかと言えばノーだろう。

 何よりも腹立たしいのは、これ幸いとこれを機に政治的活動をする一部の人間達だ。


2004/04/08 title = カオスなんて分からないよっ
 と、おそらく初めてであろう学校の話。

 今、カオス学なる講義を受けているのですが。さっぱり分からない。まるで、中学生の時さっぱり分からなかった証明のように三分もテキストを読んでいると頭が痛くなる。

 明日もこれがあると考えるだけで頭がくらくらするわけで。
 とりあえず、バイト終わってからもこいつに構わなければならないのが不服で。どうにかならないのか? とネットでそれらしいことを書いてあるサイトを探そうと思ってもみるが、乗る気がしない。

 しょうがないので、根性で予習復習をこなして鬱憤晴らしに今書きかけの作品を仕上げよう。そう思った。


2004/04/07 title = ようやっと
 さて日記だけでも更新せねば。なんて本来のサイト趣旨とかけ離れたことをやろうとしていた矢先。トンデモないことに気づく。

 日記の文体が変わっていた。

 先月までのどこか人間らしい文章は風と共に去ってしまったのか、まるで堅物の親父を見るような硬い語り口。風邪から脱却しつつある今、昨日までの自分はやはりどこかおかしかったのだろうと思った。

 と、言う訳で久しぶりの風邪で頭がおかしくなった藤 秋人です。みなさんこんにちは。無事先月十五日から今のスペースへの移転を果たし、無事に私事が消化できたのでようやっとリンク先様へのあいさつ回りを始めました。まったく、すると言っておきながら今の今までしていない辺り無礼な奴だな、と思います。

 風邪を引いて折角大学で講義を受けようと思ったのに、今日は家で自学自習。今年から一層講義の量が増え、四苦八苦する羽目になったのですが。まさか、出足から苦労するとは夢にも思いませんでした。

 さて、掲示板が先日新しくなりました。
 移転直後にいただいたご意見の中に、フレームと合う色にしたらいかがか? と言うのがあって、ついでだからと掲示板ごと変えてしまいました。

 今度の掲示板はレスを付けると先頭まで移動する 「トップソート式」 掲示板だそうで。今からちょっと面白そうだな… と思ってみたり。

■今後の更新予定[註:あくまで予定です]
完璧な恋人 - 完結編 →草稿終わりました。何もない限り今週
なんかの短編 →何か書きたくなったので今月中に二・三作書きたいな、と。


2004/04/06 title = 全く救いがない
 先週からこじらせていた風邪が、今日を以って更に悪化したと言うことを朝起きて実感する。感じたのは悪寒であり、気だるさであり、蟲が気道を這うが如き気管の不快感であった。それら全てが、いずこから図々しくも我が体内に侵入してきた雑菌による仕業であることに一層の不快を覚える。

 誰となく聞いたことがある 「春風邪を引くのは馬鹿者だ」 まったくその通りで、昨日すっかり完治したと思い出かけたのが更にいけなかったのだろう。
 しかし、アルバイトを休むわけにもいかない。日曜はやはり風邪で無理を言って休みをもらったからだ。しかもレジのお兄さんにとって今日は試練の日である。つまり、所属する店がセールを行うからだ。

 今も熱を測りなおしてみたが、約0.2度の上昇を示している。発汗量や水分摂取量を思うに順調に下がっている筈なのだが。これで、アルバイトに赴けばどうなるのか?
 想像すると頭が痛くなる。だが、いつぞやとは違い倦怠感はさほど覚えずに済んでいるのでなんとか六時間の就業をこなす事が出来そうだ。

 ここでふと、いっそ死んでしまいたいと思うことがたった一つある。

 明日からぎっしりと講義が詰まっているのだ。
 今日を以って真の完治を迎えることができなければ、明日は相当辛い筈だ。

 全く救いがないことに、今の我が家には解熱剤の一つもない。


2004/04/05 title = 幼いころ
 久しぶりに大学やらアルバイトやらが休みだったので、作家志望仲間かつ人生における先輩でもあるStr氏と久しぶりに会うこととあいなった。

 話は私が氏から借りていた小説のウンチクや互いの近況など、実に節操のない幅の広さを見せ。恐らく基督教徒が聞いたら激昂間違い無しの話などなど… つまり纏めると雑事から不謹慎ネタやらが氏の部屋を蹂躙していた。そういう訳である。

 特にお互い盛り上がったのは、不謹慎ながら基督教の聖書に関するエピソードであった。俗にWebでやっちゃならんと言われているのは、特定団体に関する政治的な話や、宗教に関する見解などらしい。どうやら思いっきり触れているが当サイトは零細サイトである。別に問題なかろう。

 して、その話とは大体こんな話であった。

 聖母マリア様、と言う人が確かに西暦0年には既にいたらしい。彼女は特に特別でもなんでもない、ヤコブと言う大工の夫と暮らす… 今風に言えば主婦だった。
 手元にある知識によると、ある日。マリアは天使から神の子 (後に神の子、イエス・キリスト) を授かる。しかも彼女は処女であった (後に彼女が神の子を授かったことを神に告白するシーン…? を描いた「受胎告知」と言う絵画がある。イエスが生まれたのは中東だと言う説が強いのだが、どうみても西欧系の顔つきこれが中々面白い) 。と信じられない話が聖書に記されていた。そんなところから私とStr氏の糞にも劣る馬鹿話が始まった。

 さきほども書いた通り、このマリアは処女であり未だ旦那のヤコブと肌を重ねていなかった。今の時勢なら呆れるほど乙女であった… むしろ敬意を表してあえて漢女 (おとめ) と称しよう。が、天使? からイエスを授かってしまった。ここまではいい。

 問題は、彼女の視点や感覚でそれを考察するよりも。
 彼女の連れ合いであるヤコブの心情であった。

 そもそもヤコブからすれば血の涙の一つや二つ流したかったに違いないだろう。ある日仕事から帰ってくると家の中からくぐもった声。恐る恐るドアの隙間から中を伺うと、倒れた妻… マリアにのしかかるように何かを埋め込もうとする半透明の天使? と思われる人間。しばらく恐慌状態に陥った彼を尻目に妻は満足げな声と空ろな瞳で宙を見上げる。この光景を恥辱と言わずになんと言おうか。きっと、彼は神を呪ったのだろう。
 が、聖書を開けば彼についてさして触れられていないようだから… と私とStr氏はこう推測した。 「彼は意識を持ち直した妻に、やんわりと微笑み返したに違いない」 と。
 正に男である。いいぞ、ヤコブ! その後、真相を確かめないまま一時的なヤコブフィーバーが続いたのであった。


 と、ここでふと気付く。タイトルにもある通り、今日はアップする予定の小説がアップできない代わりに何かしら書こうと、前座のつもりで書いた話がヤケに長くなってしまっている。本題に入ろう。

 こんな阿呆な話をする私も、遠い昔。そう、少なくとも十五年以上前くらい昔は、まだショタ受けするような男児であった。先日自分の写真を見る機会に恵まれたのだが、今と違って純朴な少年に見えた。これが今になってみれば、やれヤコブがだのイラクがだのいう様を思えば、現代と言う時代が冷酷だと言うのも納得できる。

 なお、この日記の読者で「ショタって何? 」と言う方はこれから先も知らない方がいい。時に人間の欲望はどんな綺麗なものでも綺麗なまま汚したいと言うおかしな矛盾を抱えてしまうものなのだ。

 さて、私の幼いころの話である。母曰く、純粋な優しさを持っていたらしい。幸いにも自分が覚えている記憶は三歳のものが最古で割合良く覚えている。
 自分自身で思い返してみれば、なるほど。素直だったかも知れない、そう思った。

 あのころは、確かに素直に 「好きだよ」 と言えた。
 あのころは、にっこりと笑うことができた。
 幼い自分は、幼いが故に何事も一大事に思え、小さな事で震えた。

 そして、今の自分を見つめなおす。

 今の自分は、親友に好意を表す時に 「一遍、死んで来い世界のゴミ」 と互いに罵り合って親愛の情を確認し合い。
 恋人に愛を最大限に伝えようとすると、体を貪り合い愛を囁き合う。

 今の自分は、ニヤリと時々常人に理解できない笑いを浮かべる。
 時に会心の笑みを浮かべるが大抵は中庸な表情であるまるで仮面の如く、である。

 今の自分は、煤けてしまったが故に、大きな事も小さく見える。
 世界が色あせ、同時にケバケバしい位極彩色に溢れていることも知っている。
 だから震えないで、黙って凝視する。

 だから今の自分は自分なのか、と思う。幼いころは世界の理不尽さも性差もなかったし、目の前だけ恐れ、喜べば良かった。いい意味で私は真っ白けだった。
 そんな私は今は何色なんだろう、と考える。

 不意に、幼い私を抱いてあり得ないほどの笑顔で写っている父親の写真を見た。願わくば彼に孫を抱かせてやりたいし、私自身も幼い我が子と一緒に会心の笑みを浮かべて写真に残りたいものだな、と。初めて思ったのだった。

■このまま綺麗に終わりたいならこの後の行、反転するべからず
 しかし、我が子を抱こうにも相手がいなければどうしようもない。我が家族には妹もいるがこれと交わればそれこそ禁忌である。だが、私自らが卵から暖めて子を産むわけにもいかないし、シュワルツネッガーの「ジュニア」よろしく子宮外妊娠することも適わない。

 そうか、いつも見ない振りをしていたが。私はつまり母親になりたかったのか。
 何もこんな時に気付かなくてもいいのだろうに。さてさて、どうしても自ら子供を産みたいと思うなら、もう来世に期待するしかないじゃないか。

 来世は女性に転生することを、一先ず夢みることにしようか?

 して、もし転生かなったなら。今まで罵り合いながら親愛を育んだ親友みたいな奴と結婚でもするのだろうか?

 それを想像すると、正に吐き気をもようす。あんなサノバビッチ野郎共に、(恐らく)清純かつ愚鈍な乙女に転生した私を蹂躙させると言うのか?
 それこそ、新たな原罪… もとい絶望だろうな。なんて思うわけで。
 同時にそんな女性から見ればそう言っても差し支えない、夢と理想と信念を持った友人を持ってボクぁ幸せだよ… クソッ。

■ここまで。

 いつになく長い日記… いや駄文であった。
 そして今にして後悔する。「こんな長い日記、誰が読むんだよ」 と。


2004/04/04 title = 思うことつれづれ、4月頭
 自己の将来に怯える。そんな話を最近友人の話から感じ取ったことがある。それは例えば自分は最終的に一体何になるのか? 自分は結局無為に人生を終えてしまうのではないか… と言うことが殆どであったりする。

 では、己に問おう。私は一体何になるのか? 私はどういう終わりを迎えるのだろうか? それは例えば 「このサイトが閉鎖してしまう時」 として。では一体、それはどのような状況で起こりえて私はこの日記と言う一コンテンツで何を語るのだろう。

 皆目見当もつかず、また想像も出来ない。
 きっとその時になって後悔したり、あっさりと諦めてしまったりするのだろう。

 結局なるようにしかならない。そして、結果とはそこに至るまでに経験する複数事象の和であり差であり積であり商なのだろうと私は思う。つまり、その日一日をどう自分の理想や願いに近づけるかが勝負と言う事になるだろう。

 だからこそ、一日を理想と願いを持って進めば自ずとそれは世界から返ってくるのではないか。そんな風に私は解釈する。日々、切羽詰った人生だがこうして少しでも変わろうと願い行動すれば何かは必ず変わるだろう。

 そうとでも思わなければ、明日の朝を見る力も湧かないじゃないか。


2004/04/02 title = 白色完結
 足掛け二年近く執筆していたことになる。
 しかし、二年掛けて脱稿したものを読み直し半分 「こんなものか」 とも思った。

 幸いだったのは、書き終わって悔いがないことか。

 まったく関係ない話だが、執筆と平行して自分用のパソコンにReahat linuxをインストールする作業に追われていた。近い将来、やってみたい仕事をするにはこれとプログラミングを覚え、活用することが出来なければ話にならないからで。

 それに当たって、秀和システム社から出版されている本に世話になった。
 が、デュアルブートに関してページを裂いているにも関わらず肝心のブートローダー等の説明が微妙に噛み合っていないのはどういうことなのか?

 ブートイメージディスクを使わずにWindowsのNTLDRでのデュアルブートに関する解説がなされていないのが実に残念だった。結局、貴重な時間のかなりの時間を吸い取られたことになる。
 そして、無事インストール出来たのもつかの間。種々の操作方法やブラウザのブックマークファイルなどの格納場所がどこだかさっぱり分からない。しかもタスクバーがやたらデカくて話にならない。確かに安定性ではWindows9X系を遥かにしのいでいる感はあれど、使い勝手はかなり悪いように思えた。少なくともWindowsから乗り換えた私は多少の違和感を覚える。



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