Diary......JULY 2004
管理人の主な行事→落ち着いてきたので色々書きます。
今月の更新予定→ 26日より大行進(更新)フェスタ開催

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2004/07/23 title = 風邪を引いて約三日間の闘い
 愚かな事に夏風邪を引く。本日に至っては、会社から 「出れる(出勤できる) ようになったら電話下さい」 と菌をばら撒きに来てくれるなよ。と暗に言われ… たような気がする。

 今も熱を無理矢理押さえ込み、恐らく最近やウイルスが直撃しているであろう胃腸がキリキリと絞られるような感覚を覚える。
 こいつの所為で、折角ノートパソコンを新調したり@Freedを導入した意味が失せてしまったかのような喪失感すら覚える始末。いったいどうしてくれようか。

 最悪、日曜の早番には出勤できるように完治を目指すが、果たして治まってくれるのか。発症当日、体温は最高39.5度まで上昇。同日、自分の心理世界は非常事態宣言を発令。翌日、二十六度の快晴だと言うのに、寒い寒いと言いながら病院に行く様は確かに非常事態と言えるだろう。かつ、今日食べたものが三分粥。

 どう考えても、明らかに自分の体は劣勢。先月の同時期にも風邪を引いて二日欠勤する羽目になった。二ヶ月連続となると社内の心象もさぞ悪かろう。

 風邪そのものは、処方された薬を地道に飲めばなんとかなろう。では、せめて同僚からの心象を回復するには、いったいどうやってこの風邪との戦争を面白おかしく話せば良いのだろう。


2004/07/16 title = 夏休み、大行進(更新)フェスタ
 来る、7/26〜8/15の終戦記念日まで。
 連載物をはじめとする、各種作品更新を行います。思いますとはいいません、曖昧だしそう言ってしまうと逃げも効きますから。つまるところ集英社夏の読書フェアーみたいなものを当サイトでも行うわけですね。フェスタと言うからには、お祭り的な雰囲気を醸し出さなければならない訳で。どうしましょうかね?

 来場者数も一万をようやく超え、お客様の声に応えて行きたいと無駄にはりきっている始末。果たして自分の書く作品だけで、フェスタと言える催しになるのか。
 それとも、去年のように先ずリクエストでも取って頑張るか? はたまた、既存作品のキャラクターを使いまわし足りない分は茶を濁すか。

 いい加減、テキストと日記だけ書くのも… 相当もどかしいので。書く時間がある内に書いて在庫大放出と行きたいものです。

 さて、具体的にどうやって実施したものか。執筆は今日からはじめます。具体的な開催… 否々、掲載方法や諸々をどうするかは未定。けれども、今年は来てくれる方々の期待を裏切らないようにしたい。
 尚、こっそり私に耳打ちしたい方は。



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2004/07/11 title = 期待感を抱かずにはいられない
 朝起きては仕事の事を考え、出勤すればそれに打ち込み、そして帰宅して。物を書いたり、サイトの更新をしたり。これが最近の日常と化している。

 ようやく、先輩方などとも話せるようになり今日は上司と終業後食事に出かけた。まだ稚拙な私の話に耳を傾けてくれる彼に、心から感謝すると共に充足した時間をすごせたことが何より嬉しい。
 次に公開する作品の準備も着々と進み、周辺のサイト様の作品も次々と更新されている。今週の休みにでも、改めて読みにいこうと計画している。大きく見ればまだまだ至らない私だが、今の時点では日々の仕事をしながら研鑽する毎日や、こんな生活が気に入っている。
 身に着けては、次の高みへ。その積み重ねで私はどう変わってゆくのかが気になり、そしてその過程で書かれるであろう自分の作品も、またどのようになってゆくかが楽しみでならない。

 まずは、想像力や刺激を積極的に取り入れることだ。
 本や絵、映像をより多く吸収しながら自分の内面を拡げてゆく。

 その過程と、作品の構想が溢れ出て筆を走らせる快楽を味わっていこう。


2004/07/04 title = 物書きとしてのデッサン
 そう言っても、別に実際にデッサン画を描くわけではない。絵を描く友人曰く、何をディフォルメするにもまずはデッサンが出来ていないと碌なものが出来ないとの事。

 これを聞き、小説執筆に於いても同様であることを実感する。すなわち、文のデッサン。正しい文章を書き、起承転結を明確にする文章を書く。そして、極力体言止めや倒置法を用いないあるがままの文章をどれだけ正確に書けるのか。それが文のデッサンの良し悪しを左右するのだろう。
 この話を友人から聞いたのが、ずいぶん昔でまた最近別の友人から同じことを聞いた。そこで、ここ一 〜 二年はもっぱら日記や随想・随筆の類をよく書くようになった。

 確かに、基本的な文法が破綻した小説は読むのが辛い。そして、至る所に難解な表現技法が用いられた文章もまた理解し難い。
 最後に、起承転結があやふやな文章はそのテーマすら色褪せ、時に見失ってしまう。そう考えれば確かに基礎は学んでおくことに損なしという事になる。

 だが、基礎を身につけても応用を利かせることが出来なければ小説としては足りない。時に率直な文章を、そして作品世界をより近しいものに感じさせる応用的技法や表現。これらが合わさり初めて作者にとって魅力的な物語が、読み手にとっての感動作に変わる。

 そんな訳で、私も積極的に書くことにした。まずは、次回短編連作の素材になりうる可能性があった 忘れると言う本能 と言うテキストを公開してみることにする。

 尚、リンクをクリックしてジャンプ先のページにある 「戻る」 リンクをクリックすると別館のテキストノートメニューに飛んでいってしまうので注意していただきたい。


2004/07/03 title = 奇妙な妄想
 週末の定番となりつつある、友人であり宿敵 (ライバル?) である近藤 みのる氏と一日を通じて馬鹿話に花を咲かせる。

 するとどうでも良い物語が次々と生まれる。例えば、鼻に銅鑼をひっかけてその銅鑼を 『ドムドム』 鳴らす象さんの話とか。或いは和文タイプライター戦士大和とか。
 到底理解できなければ、面白いかどうかも良く分からない。けれども本人たちからすればとても面白く (一瞬) 斬新に思えるものが無尽蔵に湧き出る、一種悪夢的な催し。

 そんな中で、子供に夢と希望を与え続けている猫を無残に改竄・修正・湾曲した物語が形になった。

 聖戦死ドミニモンである。

 モチーフは勿論アレ。だが、そのスタイルはまったく異なるもので夢と希望・友情などと言うよりも、破壊と混沌・現実を重視したストーリー… の筈である。あくまで想像上の生き物だが、近藤氏に頼み込み一時間半で完成させた。

 半身像 と 全身像である。(見るのには勇気がいる)

 一瞬、これについての小説を暫く連載しようと言う話が持ち上がったり。又はみのる氏が数週間に渡り聖戦死ドミニモンの四コマ漫画を描こう等と言うアホらしい計画が、割合真剣に検討された。まったく二人揃って馬鹿ばっかりだが、偶にはこんな可笑しいこともあった方がいいと笑いあった。

 もっともこんな事が日常的に続いていたら頭がくるくる空を飛びそうで、それはそれで怖い。



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