Diary......AUGUST 2004
管理人の主な行事→旅行中にネットをする時は、ID/PWとAP番号を忘れずに
今月の更新予定→ 31日まで大行進(更新)フェスタ開催中!

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2004/08/27 title = 四日後の朝、ファイナル
 なんだ言いつつ、一ヶ月間ほど続いた 「第一回納涼大行進フェスタ」 もさっぱり大行進とは言い難い状況のまま四日後には閉幕を迎える。

 最終日三十一日に、貯めに貯めた作品を放出する。
 最後は華々しく閉幕を祝うのだ。

 最後の追い込みに入るので、日記は三十一日の公開後までお休み。


2004/08/25 title = 便乗してみる
 リンクしている、とあるサイトさまの日記で興味深い事が書いてあった。曰く、 「作者の容姿や性別、或いは年齢。それらは作品の評価と結びつくだろうか?」 とのこと。

 米国のどこだかの心理学者が、過去にこんな実験を行ったらしい。同じもっともらしい論文をひっさげた女性二人をそれぞれ別の教授陣に面と向かって提出する。果たして容姿が審査に影響するか、否かを心理学的に調査するとのこと。勿論、一人は一般的に容姿が秀でていて、もう一人はやや見劣りする女性に同じことをやって貰う。

 結果は、明白だった。

 容姿が秀でた女性の論文は、概ね好意的に評価されたが。対して容姿に劣る女性の論文に対しては同じ論文にも関わらず、先の女性よりも否定的な評価が目立った。
 つまり、視覚や印象による先入観によって同じ論文でも良し悪しが分かれたことになる。このように、人間は非常に見かけに影響されやすい生き物である。容姿、肌の色、服装、体型、職業… 目立つものから順に吟味し、それを元にして第一印象は決まる。例えば、今から五〜七年前。私は赤川次郎を熱心に読んでいた時代があった。だが、巻末に赤川次郎の肖像を見たときから作品を見る目が若干変わったのは事実だ。

 だが、それでも小説や日記文学の類は筆者の内面を映し、時に奥底にある何かを表現するものではないだろうか。文章には、本来の容姿以外の隠れた筆者の容姿が書かれているのかもしれない。

 写真を見たことや、実際に会っている方を除いて。私はどんな人間で、どんな容姿をしているとお思いだろう? 二十一の年齢を偽っている爺様だろうか? それとも地味な文章マニアが出てくるのだろうか? ならば、いっそバナーのウサギがちまちまとキーボードを叩いているのだろうか。じゃあ……

 ちなみに、私はごく最初のころネット上で良く女性に間違われた。なにやら丁寧な感じが女性を錯覚させるらしい。そうさね、いっそかーうぃー (可愛い) 女の子になれるもんならなりたいよ… なんて思ったが。

 会ったこともない人に、似顔絵を想像でもいいから書いて貰うとか。
 そうして出来上がった架空の自分が、気に入ったならそんな人になってみるのも面白いかなぁ。個人的にはそんなことを考えた。


2004/08/23 title = PCの私的利用も許可してほしい
 と言うのが正直なところ。何のことだかさっぱりな方もいるだろうから、説明するとつまりは職場で全く私的にパソコンを使えない。今の職場は朝礼前の周知事項や職務中もパソコンを利用する。だと言うのに、一切の私的利用が禁じられている。

 まぁ、当たり前と言えば当たり前なのだが何となく不満ではある。
 だからわざわざノートパソコンを職場まで持っていくのだが、A4ノートは中々どうして重い。職場では猫の皮をかぶっているので、執筆もままならない。ただでさえ、1958年代系の思考を持つ男として戸籍捏造の疑いが掛かっていると言うのに。これで、文学青年? とまで言われると、後は玉川上水に入水自殺しろと言われかねない。(太宰治ってわけじゃないが)

 しかし、物を書く人間にとってノートPCは結構使いやすい代物であることは間違いないだろう。あくまでキータッチに慣れるか否かにかかってはくるが、慣れれば快調な執筆を行うことができる。
 ただ、普段デスクトップ型に慣れている場合は相互に使い分けるとき齟齬をきたすこともある。それが難点と言えば難点だ。

 だが、最新型は兎も角。多少型落ちしたノートともなると性能が、同時期に発表されたデスクトップよりも大概劣る。なので、ガンガン音楽を掛けたりしながら執筆するのには向かないかもしれない。最新型に関してはそうとも言えないので、ひとくくりにすることは出来ないが。


2004/08/18 title = それはさておき
 大行進フェスタですが、遅筆ゆえか中々当初私が予想していたペースで更新できず歯痒い思いをしている。投稿は兎も角、自分の作品をもっと早く公開出来ればいいのにな。そんな事を考えつつ、出勤前の日記更新です。(日記だけかよ

 今年、北海道はとんでもない酷暑であった。今でこそ朝は十九度前後だが、つい一・二週間前などは朝から二十五度を超していても珍しくもなかった。どうしようもないほど湿度が高く人間も動物も相当参ってしまったようだ。

 盆を過ぎてようやく平年並みの気温に戻った訳だ。

 仕事柄、北海道に避暑に来た方からの相談を受けることがある。長期滞在もするし、家に機械を置き忘れたからといって、現地で二十数万もする機械を現金で買うというのには驚いたが。こんな暑い年に北海道に来ると言うのも酔狂なものだ。

 今なら、風も気持ちよいし気温もやや低い。避暑や帰省にはもってこいの日和だ。これが盆ならきっと楽しい帰省になったに違いない。

 最近、ドコモのアットフリードを契約し、屋外でネットをすることも多くなった。このアットフリードの場合は、全国何処から接続しようとアクセスポイントの電話番号は変わらない。だが、普段DSL (ADSL) やFTTH (B flets)などを使っている方が旅行先でダイヤルアップで接続することも多いだろう。
 更に最近はブロードバンドルーターの普及やルーター型モデムも増えている。旅行先で忘れてはならないのは、ISPへログインする際のIDやPWだ。恐らくこれらを忘れると接続すら出来ないだろう。今は個人情報の保護が重要視されているので、多分窓口でIDの照会はしてくれないと思う。

 いや、私がネットを始めた約四年前でさえそうだった。今更電話越しでID/PWの照会に応じるISPなどないのだろう。

 どうしてこんな事をぶつぶつ言っているのかと言えば、アットフリードのセットアップが滞りなく終わってしまったからだ。約四年前は、それはもう沢山のトラブルが発生したものだった。慣れとは恐ろしい。一日かけてトラブルシュートという娯楽を、さらりと奪い去ってしまうのだから。


2004/08/15 title = つれづれ
 近頃、日本語が安っぽくなったと言う話を聞く。物を書いている身としては、実に耳の痛い話だ。現に表現力に乏しい文章を書いているであろう自分を振り返ると、恥ずかしくて身投げのひとつもしたくなるほど。

 いつの間にか五輪競技会が開催されていた。早くもメダルを二個獲得したそうで、いやめでたい事である。だが、この間に今日と言う日の意味が忘れ去られているのでは。そんなことも思ったが、一瞬のことだ。思考は常に迷走し、どうでもいいことや良くないことなんかを酷く曖昧に考えさせる。
 まるで一種の中毒のようにも思えるが、人が物想いに耽るというのはこう言うことを言うのだろうか。

 話を戻して、安っぽくなった日本語だが。つまり、百円ショップで売っているニセジッポに似たものなのだろうか。だとしたら、こんな例で日本語が安っぽくなってしまったと言うことを表せるのではないだろうか。

例)
「結構きついカレーの匂いがするね」(原型)
「うわっ、カレークセー」(少し安っぽい?)
「クサッ、カレーくさっ!」(ちょーやすっぽい?)

 どれも例として成立しないが、ここで大事なのはカレーの匂いをどう言葉で表すか。と言う事ではなかろうかと、何の根拠もなしに思う。
 「カレーの匂い」 であればまだしも、今日日の方はむしろ 「臭い」 と表現するようだ。肯定的表現より先に否定的表現を用いる辺り、なるほど貧相になってくるのではないか。そんな風にも思う。


2004/08/12 title = まずは、稚作二作品公開
 本来なら昨日の23時前後に四作品の公開にこぎつける筈だったのが、推敲が進まなかったりで結局二作品になってしまった。

 しかも公開したのは、本日朝九時半と言う体たらくである。楽しみにしていた方には申し訳ないことをしてしまったな、と心の中で見えない誰かに謝った。

 さて、早くも一作品ご投稿いただいて嬉しい限り。まさかこんなに早く、投稿してくれる方がいるとは思わず、嬉しくて涙とかそういう性質の物が流れそうになった。三十一日まであと十九日。その間にどれだけの作家様が集ってくださるのかが楽しみで、そしてそれまでに最初は一人でやり遂げようとした自分は何作品公開できるのか。

 終戦記念日には、何か太平洋戦争関連の作品を一作品載せたい。今年はまだ、原爆慰霊日に黙祷もしてはいないし、何より同じ日本人が忘れてしまっては昔死んでいった先達に失礼なような気がしてならない。

 執筆と更新の合間に、じっくり色々なものを読みたいと思う。読書は、心を豊かにするという。しかし、先日二巻揃えて二千五百円ほどだった漫画・金正日 入門は心を豊かにすると言うより、逆に貧しくしてくれたような気分。どうも、読んでいて爽快感がない。ならば、数ヶ月前に買った水木 しげるの劇画ヒットラーの方が面白かったような気がする。

 今年のマイブーム、本の収集=世界の独裁者シリーズ。


2004/08/09 title = 明後日、一度目の大更新
 時がくるまで秘匿すること、満ちたならば必ず公開せねばならない。

 それは全く仰々しい一枚の命令書、なぜ自分はこんな物を愚直にも守っているのだろうか。その命令書には 「誰が」 とも 「誰に」 とも書かれてはいない。つまりこれを私が守る必要もない。
 なのに何故なのだろう。気づけば組み込まれていた歯車の如き心境か、違和感すら覚えず筆を走らせる。ばらばらだったものが、溢れ出てくる願いを全て叶えていくような不思議な感覚。浮かんでは消えてゆく世界。それは果たして、混沌と再生なのか。はたまた、タダの妄想に過ぎないのか。
 どうして、なぜ。それが分からないから一度に公開してみることにした。自分の思考が、あっちにいったり、こっちに行っては何かしらの世界を拾う。では、思いついただけ形にできるか。

 やってみる理由がなかった。
 ならば、作ればいい。

 高らかに鳴り響くサイレン。どこから鳴るのか、誰が鳴らしているのか私には分からない。広場に集まる顔ぶれは、いつか出会った彼らもいれば初めて会う顔も。

 いつしかすっかり演壇に立たされていた私は、手に持った原稿を上手くスピーチするしかなかった。原稿を渡した彼らは、綺麗に微笑んでいたのだから。

「七月二十六日から翌月十五日まで開催の大更新フェスタだが。管理人の多忙につき、改めて八月十日から八月末まで開催する。公開予定作品は管理人作のもので十二作加えて、期間中は投稿作品も募集するとのことだ。投稿がない場合や十二作全ての公開が終わった場合もフェスタ終了までは積極的に更新する。」

「尚、今後は一年毎にこのフェアーを開催しようと… 思う!」

 広場から複雑な、歓声が上がった。成功するのか、お前にゃ無理だ、その声もいつしか夢現となり次第にぼやけてゆく。

 大更新フェスタ、本格始動まであと二日。


2004/08/03 title = どっばーんと…
 大更新フェスタが始まって数日経つが、一向に掲載作品が増えないとはけしからぬ。そう己でも思っているものの、一度に大量の作品を推敲したり校正するのは結構しんどい。

 仕事も慣れてくると楽になるだろうと思えば、そんなことはなく日進月歩。覚えることや仕事の行き帰り、更に近日の札幌における異様な気象が身体に影響を及ぼしている事は確かなようだ。
 しかし、しかしだ。文字を書きたい、何かを作りたい。そんな欲求は頂点に達している。今日から明日に掛けてアップできるか、どうか。分かりかねるところではあるが、フェスタの名に相応しい大量更新をお目に掛けようと思う。

 さて、やや地元地方らしい話をすれば。 「どっばーんと」 のキャッチフレーズでお馴染みの小樽水族館である。規模で言えば登別マリンパークニクスの方が大きいのだろうが。何しろ、なんと無しに親しみやすい 「どっばーんと」 と言うキャッチフレーズがいい。登別の方は、いかにもテーマパーク… と言った感じでちょっとばかり一歩引いた目で見てしまう。(尚、分からない方は一度夏に北海道に来て、テレビをぼんやり一日ほど眺めていれば、きっと私の言っていることが分かると思う。

 まぁ、ただ単に手を叩くアシカに魅了されただけかもしれないが。

 そんな訳で、数日中… おそらく今週中、否。今週中にどっばーんと更新してみようと思う。どっばーんと更新された際は、どっばーんと楽しみながら読んでいただけると幸いである。

………どっばーん、と。


 また、どっばーんと勢いに乗ってフェスタに参加したい、投稿してみたいと言う方がいらっしゃればこちらまでご連絡いただければと思う。流石に手が回らないと言う訳でもないのだが、ちょっと寂しいので。



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