Diary......DECEMBER 2004
管理人の主な行事→今年の聖夜も独りきり。
今月の更新予定→ 今月こそ何か公開!

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2004/12/30 title = 一年を振り返れ
 今年一年の当サイトを、日記の文中ではあるがまとめてみようと思う。今年の一月から既に文章を書くと言うことについては停滞していたと言わざる得ない。その癖、何か書きたい病は収まらず明日は書ける、書けるはずなどと言っていたのである。

 六月に今の仕事について以来、すっかりリンクサイトを回っている時間も無くなってきた。そういう意味では、そろそろ閉鎖時期なのかも知れないとも思う。
 もう半年近くまともな新作も用意できないことが、潮時感を醸し出させるに十分な理由かと個人的には考えるようになった。仕事に多大なリソースを裂いているのではなく、発想力が乏しくなってきたのがその理由だと考える。それは、新しい知識を吸収したり、新しい空想を取り入れることを無意識に止めているからなのかも知れない。

 そんなつもりはないのだが。
 事実、そのようになっているのが激しく悔やまれる。

 サイトとは関係ないが、ストレスの所為かそれとも単に孤独に対して臆病なのか恋人だとか、そのようなものを無い物ねだりし始めた。そう感じたのも最近… いやここ一〜二年のことであった。全く一度、深い恋愛などをしてしまうと人間はとことん一人でいられなくなるものだ。すっかり駄目な人間に変わってしまったような気がする。

 およそ、良い要素が見当たらない。来年も何かを書き続け、公開して行くか、書くのを止めてただの人? になるか。まだ定まらない。今年の一月に所属しているサークルでごたごたがあり友人を失うようなことがあってから、何かに怯えだしたのかもしれない。
 可能性など幾らでも思いつくが。さてどうしたものか。

 そもそも、本を読みたいと思うし、話を書きたいとは思うが。それ以上にどういう訳か仕事の在る無しに関わらず一日中眠っていたいと言う欲望がある。眠ると執筆がはかどる訳でもない。そして眠ったところで誰とも話せはしないし、何も生まれない。

 さて、こんな状態を憂鬱と言うのだろうか。私の友人達はみな口を揃えて 「なんだ仮病はイクナイねー」 などと慰めてくれるのだが、そう言われると自分に嘘をついているように思える。ああ、私は私に対して嘘をついてるのか。実は幸せなだけなのかな、と。
 それ自体が嘘なのかも知れないけど。

 段々話がそれてゆくが。来年は、手と手を重ね合わせて、それだけで幸せになれるような人間に出会いたいと思う。空気のように自然で、できれば依存しない程度に寄り添えればなおベターかと。

 結局、サイトの一年を統括どころか、メモの殴り書きのようになってしまった。


2004/12/19 title = 小説、絵、写真
 よく文字嫌いの人間が引き合いに出すのが、小説では具体的に何がどうと言うことが分からないと言う。それを苦々しく思うがあまり、それは想像力の乏しいお前が悪いなどと言ってしまうこともある。

 だが、それでいいのか?
 確かに安易で陳腐な言葉の羅列や、状況説明に終始する文章は理解しやすいかも知れない。しかし、それでは読者にそれ以上の何かを与えることはできないのである。

 そう、そんなジレンマに陥っている人間が救世主として迎え入れるのが、絵や写真の世界である。曰く、目に見えてテーマが前面に出ているから分かりやすい。何より文章と違って見たこともない世界を視覚で与えてくれる。
 だが、視覚を前面に出し伝えたいことだけを正面に出してしまうことが果たして作者の伝えたいことを伝えきることが出来るのだろうか?

 おそらくそれは違う。
 小説には、小説しか表現できない領域があり。絵には絵の、そして写真には写真だけの何かがある。ゆえに互いに一長一短があっても仕方ない。しかし、文章を魅力的で食いつきたくなるような文章にするのが物書きの仕事だろう。


2004/12/14 title = プロットを…
 どこまで書こうか悩む。いつだったか、創作休憩所にてプロットについて意見を交換したことはあったが、本格的に煮詰めたプロットを書くのは難しい。

 簡単かつ、自分が読んで分かる程度のプロットは直ぐにでも書けるのだが、今回は草稿の前段階としてのプロットなだけに慎重に書かなければならないだろう。と、言うのも今までのように時間が豊富に有り余ってはいない。今までなら構想メモに毛が生えた程度のプロットで十分だった。何せ、遅くて三日、早くて数時間で完成稿まで持っていっていたのだから。

 しかし、今回は違う。既に書くと決め手から三ヶ月以上が経過している。構想メモやプロット、草稿までを一旦書き上げたが気に入らないので最初から作り直した経緯がある以上。今回のプロットは最後まで書ききる為にも一旦満足するまで練ってみたい。
 そんな思いがある、だが年内脱稿・公開を考えている以上時間がない。そう我々には時間がないのだ。

 兎も角、今回の作品は品質高く仕上げたいと思う。

 関係ない話だが、ここ数ヶ月久しぶりにやり込んでいるゲームがある。Koeiの鋼鉄の咆哮2(エクストラキット導入済み)である。常々あちらこちらで 「面白い」と言う評判は聞いていたので買ってみたが、これが本当に面白い。少々、「独逸の科学は世界一ィー!」的な世界観ではあるが第二次大戦を題材にした仮想戦記好きならたまらない一作だろう。


2004/12/10 title = 執筆状況
 こんなものを書かないと、書けなくなっている自分に気づく。前のバイトは、就労中にネタを詰めていても所詮ルーチンワーク。どうにでもなった。

 今はそういう訳でもないので、ぼんやりしているととんでもない事になる。そんな訳で、進行に合わせてプロットの追記予定や、草稿の構成を考えれば即どこかにメモしなければならないのが辛い。どうやら、クリスマスには間に合いそうもない。公開は、年末頃になるだろう。もっとも休日に全てのリソースを割いて当たれば数日で終わるのだろうが……

 基本的なプロットや構想メモも纏まっているので、比較的早くに草稿を仕上げることができそうだ。目下、プロットを煮詰める作業をしているところ。

 さて、今の仕事は都合上、多くの語彙が求められる職場。だのに、始めてから六ヶ月経って思うことといえば最近語彙や単語が少なくなってきたな。これに尽きる。
 「最悪」と言う意味で、間違ってメールに 「よしんば〜」 と書いてしまう自分。それ自体は間違いではないのだろうが、もっと普通に分かりやすく「最悪〜」と書いたほうがいいだろうに。この、 「よしんば〜」 は 「たとえそうだとしても…」 と言う意味である。憶測を多分に含むので厳密には間違いではないが…。



2004/12/08 title = 自分である事の証明
 私が私である為に一体何が必要か?

 自分らしさを求めるにあたって、不可欠な要素を探すのは難しい。例えば文を書くことだとか、例えば信心深いことだったり、或いは常に刺激に満ち溢れている事。結局は、何を持って自分が自分であるかを証明するか。

 いつか書いたが、私はアイデンティティと言う言葉が嫌いだ。自分らしい、と言うそのニュアンスが嫌いなのか、自分らしくあれ。そう囁く世界が憎いのかはさっぱり分からない。だけれども自分であることをどうやって証明するか、それには嫌悪感を抱く前に恐れすら覚える。
 一個体としての生命として、証明するのか。
 それでなければ何を持って自分こそ自分であると言えるのか。

 所謂、解離性同一障害に見られるような多重人格の治療例には、互いの人格と交換日記を書かせることで、人格の統一を図ろうとしたことがあったらしい。いずれも、半ば失敗に終わったようだがやはり互いの人格は一体誰が主格なのだろうと悩んでいたらしい。ともすれば強硬に自分こそ自分であると繰り返す人格もあったようだが。

 普段、何も考えずとも私を含めた人間共は戸籍によって自分こそ、自分であると勘違いしているのかも知れない。問われて、自分が自分であるなど果たして言えるものか。


2004/12/02 title = ハオハオ(好好
 ハオハオがどう言う意味かは深く考えないで頂きたい。多分、 「よろしいよろしい」 か、そうでなければ 「すきすき」 のどちらかだろう。   …と後半については既に日本語的な解釈な仕方になっている。学がないと、このような局面で苦労する。

 さて、もう書き始めて二ヶ月経った 「眠らない願い」 がようやく形を成してきた。一旦出来上がりつつあった草稿を思い切って破棄。構想メモとプロットから書き直し、今日プロットが簡単ではあるが完成した。あとは、肉付けをし草稿に至る前のプレ草稿に仕上げる。今回に限り、実に慎重に筆を進めたいと思う。勿論、いつものように時間を掛けつつも仕上がり品質の保証をしないスタイルは変わらない。
 壮大な駄作に堕ちるか、そこそこの味に落ち着くかは書き手に掛かっている。ああ、そう書くとプレッシャーを感じてしまうような…

 ちなみに、構想メモの一部を抜粋してみる。執筆順調と言うことをアピールしてみる訳です。

---------構想メモより
 小さい頃みた空が四角く、青いだけでお腹が膨らまないなんてぼやいてはいたけど。夕方になれば夕食も出てきた訳だし、ともすれば間食もしてたと思う。
 同じ頃、ちょっと離れたどこか。まるでゴミのように同じ年の可愛い女の子が飢餓で死んだりする訳です。十代中頃までは世界平和を信じてた。いつか戦争をなくしてみせる、俺の世代が変えてやる! なんて意気込んでいたけど、勉強すればするほど戦争も必要だし、一握りの平和を維持するために多くの犠牲が必要なことも分かってくる。辛い、大声で泣きたくなった。

 それって嘘だよね?
 全て嘘。でも、全て本当のこと。

 きっと、どこかでやったぜファッキン! とか言いながら死体の山で美味そうに飯食ってる僕らがいることを知っているんだ。兵器や悪意が詰まった壺をに、もっと生きたい! 幸せになりたい! と叫んでいるヒトを放り込んでる。
 見てみない振り、意識しないでヒトを殺すことができている僕ら。

 それは流石に嘘でしょう?
 いいえ、全て本当のこと。

---------構想メモ抜粋おわり

 こんなことを書いておきながら、肝心のプロットの肉付けはさっぱり進んでいないのが寂しいです。所詮メモはメモ、そういうことですか。そうですか。


2004/12/01 title = 英気補充完了!
 失いかけていたものを取り戻すのは、酷く時間が掛かる。それは、私にとって何かを書く気力や実行力に関することだったのだろう。
 失いかけていたのは、内側からあふれ出す声に耳を傾けること。忘れていたのは共感、悲痛な、喜ばしく、憤りを覚え、楽しく、憎らしくも愛しい彼等の声。名前すらない声に、魂に触れ形にすること。手に技術も持たず、専門家ですらない私に許された… たった一つの魔法。

 言の葉を紡ぐ魔法使い (ウィザード) であることを、その自覚をようやく取り戻した。その為に要素となる単語や文法を解し、仮初の理想と現実を解析する。臨時に仮想構築したアカシックレコードを猛烈なスピードでデコードし、ワイヤーフレームで描画された世界が形や歴史、色や風を持つまでコンマ数秒。
 根源の渦から最初の数行を生成し、架空世界が数分後に出来上がった頃には全てが完璧になっている。彼等全ての意識を文章として練成すること。

 これが、何かを書き記すことで自らの人生を残そうとするたった一つの魔法の使い方。

 格好付けて言うと、こんな按配である。
 要するに、つべこべ言わずに書き始めるぞ。そういうこと....

現在、「眠らない願い」執筆中


 これまた間の悪いことに夜の二時半なんだがね。



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