Diary......february 2005
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2005/02/26 title = この感じをなんと表現しようか?
 本当に、偶然とはよくあるものである。

 偶々リンクしているサイトの方が新作を書き上げようとしていることが分かった。前々からお付き合いさせて頂いているのと、その人の書く作品は不思議と画 (え) を見せてくれる。優れた語彙を駆使しているとか、文章ごとの構成力や連結がプロ並みだとか。別にそう言う訳ではないように思える。いや、勿論構成力や語彙も巷にごまんとある二次創作や、適当にでっちあげた小説なんかとは、やはり数段、格が違うものがある。
 その人は、とかく描写が上手い。そしてそれを文章の中に自然に散りばめるのがとても上手い。単に描写だけを追うわけでも、語彙から詳細を描画してゆくわけでもない。気がつけば、読者が風景や人物、その仕草。それを自然と浮かべてしまう。そんなどこか自然な魅力を持つ文章を書く人である。

 かくして、その人は書き上げ、公開した。
 何となく、私は読んだ。

 始めのうちこそ、何となく読んでいた。気がつけば、世界にのめりこんでいた。文章のテクニックに呑まれたようにも、文体に魅せられたのか。今でも分からない。
 そして、読み終えた。言いようのない感情、感動。それらが私を支配していた。この小さな胸の疼きを何と呼ぼう? この口から漏れ出しそうな慟哭を、愛しさをどう表そう? 物書きが文字に出来ない情動を持つ。良作・名作の条件だと私は思う。

 リンクさせて頂いているサイト様には、必ずそんな作品がある。そして、今回もまた出会えた訳だ。そんな作品に出会うと直ぐに感想を送りたくなる。読者として、伝えたくなる。貴方の作品で、また出会えた。また思い出した。また喜んだ、そして悲しみ、さまざまな思いを貰った。こんなに嬉しいことはない、と。

 リンクサイト様の連載が楽しみだ。心が震え、ゆっくりと染み渡る感動もあれば、今回のように言いようのない感動に襲われる心地よさも。

 そしてまた同時に、私を奮い立たせるのだ。
 そう、私にもある。全てを投げ打って書きたい物語―― 作品が。


 これら全てがごちゃまぜになった。この感じをなんと表そう。

■余談
気になる連載→ こちらこちら
染み渡る感動→ こちら
今回の→ こちら

 気が向けば貴方も読んでみるといい。


2005/02/21 title = 近況報告
 誰に向かっての報告なのかさっぱり分からないが、誰か読んでいるかもしれない以上。書かずにはいられないのが性分らしい。

 四日前後で何とか気分的な安定を得るにいたる。どうも周期的に憂鬱になるのはここ数年の傾向らしい。この日記の過去ログを整理していると定期的に憂鬱になっていた。まったく救いがたいことである。

 先日、そして今日。風邪を引いて会社を休む。
 先日電話したときに、上司に 「一日だけでいいんですか?」 と聞かれそうだと告げたのだが、よもや悪化するとは。これまた不覚。先週の土曜に自作のニューマシンが完成したと言うのにあまり活用する機会がない。折角、高性能なのに宝の持ち腐れのようにも思える。スペックに関して興味がある方は こちら をご覧になるといいだろう。

 さて、結局何を書きたいかここまで書いて忘れてしまった。主題はボケる、日記にまでプロットをつけて書くようなことはしないし、するつもりもない。取り留めなく書いている日記なのでこの程度が限界かと。

 創作意欲という物は得てして外的刺激、興味、関心から沸いて出てくるものだと考えている。明日からまた出社するので、明日からは時間に無駄がないよう支度して、少し早めに家を出て街を歩いてみたいと計画する。


 こんな近況だが、関東に就職した親友はこの日記をみているのだろうか?
 しかし、考えてみれば日記など小説サイトとしては、まったくもって価値のないテキストであることは言うまでもなく。日記文学とうそぶくには、余りに稚拙。早く何か更新したい。


2005/02/17 title = 札幌欝祭り
 どうも最近憂鬱で、気分が優れない。

 いつものように、何だか急に気分的に疲れた… といったような具合ではない。具体的に言うなら何も感じない。仕事の最中、仕事からの帰宅途中、同僚と話しに花を咲かせている最中。何もかも何も感じない。遠くで自分を眺めるようで、どこか虚構じみた気分。

 いつの頃からか、声や仕草さえ作るようになっていたように思える。自分のキャラクターだとか、あるべき地声から態度まで。設定を自分の中で作り上げ、日常に於いては演じきらねばならない。ふと思うのは、今の仕事について体重が増えた事を嘆きつつ暴食する陽気な男を演じることに飽きているのかも… そんなことを思ってしまう。

 正直な話、それを地でやっているのかどうかすら怪しい。
 必要に迫られて、そうなったのか。最初からこうだったのか、分からない。

 今、こうして書いていることすら嘘みたいだ。
 しばらくまたサイトを休もうと計画している。何でもかんでも中途半端で投げ出してしまうのはとても簡単だ。多分、なんだかんだ言ってまた直ぐ寂しくなって戻ってくる。
 そう思おうとしている自分。同時に周りがそう思ってくれることを願っている自分。その浅ましさに対して嘲笑する自分。

 いつだか、アイデンティティと言う言葉が嫌いだと。そう書いたことがあった。全くその通りだと頷く。
 会社にいても、家にいても。街へ出ても、誰にも必要とされないことだけが異様に悲しいと思えた。ちょうどその時、読んでいたプリントアウトされた架空の誰かの為に悲しめた。そして、誰にも必要とされていない自分を少し哀れんだ。同時に、救いがたい愚かさだと私自身を評価する。雪祭りの雪像がただの雪山になっていた。
 ああ、札幌欝祭り。

*そういえば
 前回の日記では祖母が逝ったので、葬儀に行くと書いた。
 まったく機械的に彼女の葬儀は幕を閉じた。涙の一滴も出なかったし、何の感慨も覚えなかった。私にとって彼女は権威を振りかざす何かであって、形式上の親類であった。そう言えるだろう。印象としては、勝手に喚いていた何年と、そしてつい最近灰になった人間と言う印象しかない。悲しいことに。
 良い祖母でもあった筈なのだ。事実、小学校低学年の頃に「おばあちゃん」と甘えた記憶もないわけでもない。良い祖母であったはずなのに、こみあげるものが何もなかった。
 悲しみとは全く別のベクトルで、悔しいと思った。

 こんな時だけ、誰か傍にいてほしいと。そう思って、自らの浅はかさを嘲笑った。


2005/02/09 title = 葬儀へ向かう
 悲しいことに、予定通り四日に『眠らない願い』が公開できず、いっそのこととまたも草稿段階での書き直しを行っている。何とか今月中に…(略 なんてことを言うのも幾度目か。

 それとは関係ないのだが、偶々父方の祖母が天に召されたようで数日道東(北海道の東)まで葬儀へ参列せねばならない。余り葬儀が愉快だったり面白いものである筈もないので、正直行きたくないと言うのが本音である。しかし、彼女がいなければ今の私も居ないし、多少たりとも遺伝子を受け継いでいるのだ。
 今しばらくの別れではあるが、見送りに行っても悪くはあるまい。その間にノートパソコンを持って向こうでも執筆や更新に勤しむ事ができるなら、案外少しばかりの休暇が出来たと考えてもいいかも知れない。

 さて、またも関係ない話だが。先日、もう四年以上使っていた携帯電話が自由への脱出を試みて水没してしまった。引き上げた時には既に遅し、痙攣(液晶が消えてただ、バイブレーションを繰り返す)すると言う哀れな姿になっていた。結局メールやら、アドレス帳が全滅してしまったのである。そんな訳で、私を個人的に知っていて、電話番号を恵んでやった覚えのある方は、申し訳ないがメールアドレスだとか電話番号をおしえてやって欲しいのである。ちなみに、電話番号もメールアドレスも変わっていないので。


2005/02/03 title = まさに修羅場
 現在、夜の27時である。厳密に言おうとするなら既に4日早朝3時と言うことになる。最近、朝方へシフトしている自分なのだが今回ばかりは異例だ。

 なぜなら。
 このままでは、四日夕方までに『眠らない願い』が公開できないからだ。

 そもそも先月公開予定の物がどうしてこうなったかと言えば文章量が多く校正・推敲に異常な時間が掛かっているからである。ついでに言うとつい先ほど、最終話の原稿が完成。このペースで行けば、4日午後7時には確実に公開されている運びになる。
 構想とプロットつくり主要人物の作りこみ、なるべく人物の重み付けを図ろうとした為、無駄に長くなってしまったような気もしている。そう言う意味ではおそらく私自身が一番緊張しているのかも知れない。とりあえず、目処は立ったのでまずは起きてからの作業を考えて一旦睡眠を取る事にしようか…


2005/02/01 title = 無題
 いつも、春に向かうこの季節に毎年右目が痛くなる。季節的な物なのかも知れないし、体質なのかも知れない。けれど、右目が酷く痛むこの季節に何かを置き忘れてきたような、そんな気がするのだ。

 何時ごろからそうなのかは、分からない。ただ、気付けば春に向かう間の一定期間に右目が何故か痛むこと。特に視力が落ちるわけでもなし、特に充血している訳でもない。かと言って昔、脳まで筋肉で出来ているような格闘家に目を抉られて、今は義眼… そんなこともない。皆目検討が付かないと言う意味では一種恐怖さえ覚えた。

 ただ、気分的なものなのか少し目が痛いときは悲しい。



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